愛音


全椒の史生は職を失った上に、若くして妻を亡くして一人身だった。少々のたくわえも有ったし、もともと物にこだわらない質だったので、一人身の自由さを幸いと、山野を逍遥して詩文を作るのを楽しみとした。
ある日、たまたま得た一句、「忘憂を望めば、菊華微かに動き、露を含む英(はなぶさ)は自ら秋声を発す」を推敲しながら気分よく歩き続けているうちに、気が着くと道はこれまで見たこともないところに来ており、日も暮れて帰りの方角さえわからなくなった。腹も空いて少し心細くなってきたころ、はるかかなたに一つの明かりが見えたので、それを頼りに歩き続けると、瀟洒な田舎家があって、庭の植え込みもこぢんまりと品があり、なにやら俗世から隠遁した文人の庵といった風であった。
柴折戸をくぐると、主人とおぼしき老翁がうれしそうに出て来て、史生を迎えた。老翁は何もかも承知しているというように史生を庵の中に迎え入れると、媼に酒と肴の支度をさせた。翁は自らを李玄明と名乗り、史生の父とは同じ師について学んだ仲だという。老翁の口をついて出る一つ一つの言葉に古い典籍からの拠りどころがあり、それに応じて答える史生の言葉に翁は実に満足げにうなずいて、また酒を勧める。古酒の香りまた好し。庵の裏の竹林を風が渡り、はるか山の端に既望の月が登る。何もかも満ち足りて、その夜は用意してくれた奥の小亭で休んだ。
翌朝、少し重い頭で起きると、日はすでに高く、気持ちのよい植え込みの向こうに菊の花が一つ二つ揺れている。時刻はまだ真昼ではあるが、ああまさに「自ら秋の声を発す」だと気にかかる一句をまた思い返していると、その菊の籬の向こうに一人の小娘が立っている。小娘は史生の目に気が付くと、ぱっと花の咲いたような笑顔を残して逃げるように去っていった。史生はもうその笑顔が目に焼きついて離れない。
何を話しかけても昨夜のように打てば響く答えが出来ない史生の様子に翁は「どうなされた。気がここにあらずというふうですな。」と呆れ顔。すると史生は「ここには若い娘さんがいらっしゃるようですが。」と唐突にたずねる。「ああ、愛音をどこかで御目にされたのですな」、老翁が言うにはその少女は媼の遠縁に当たる娘で、当年十五歳になるという。身寄りが無いので翁と媼が自分の家に住まわせているのだった。今一人身で居る史生は、それとなく自分の気持ちを老翁に伝えると、「これはこれは、あなたはもう世俗からまるで気持ちの離れた方とばかり思っていましたのに」といいながらさらに寂しそうにこう付け加えた。「あなたが気に入って下されるのであれば愛音には、この上ないご縁というものでしょう。しかし、それは難しい。愛音は実は耳が聞こえないのです。それゆえ話す言葉も不自由です。あなたにお仕えすることはとても無理でしょう。」そう言われると、それ以上は強く頼むわけにも行かなかった。しかし、翁との気持ちのよい清談や古酒を楽しむ間も、史生の気持ちの半分はもう愛音のことで一杯になっていた。
夜もふけて自分のために用意された奥の小亭に戻り、寝床に身を横たえていると、なにやら気持ちのよい菊の香が漂ってくる。目を開けて、そこにあの花の咲いたような笑顔の愛音の姿を見出した。史生と愛音との間には言葉などというものは必要なかったのかもしれない。その表情や手を動かすそぶりから、愛音の言いたいことはみなわかる気がしたし、史生が愛音の肩に触れるや、史生の気持ちはことごとく愛音に伝わっているようだった。二人は自然の成り行きでわりない仲になった。
愛音は毎晩小亭を訪れるようになったが、いつも双六を持って来た。二人はまるで子供のように興じてサイコロを振るのだった。史生の楽しそうな笑い声に、老翁老媼も、やがて二人の仲を知るようになったが、耳の不自由な愛音の幸せを喜ぶと同時に、この幸せが何時まで続くのかと気にするのだった。
やがて愛音は身ごもって、翌年の秋、また菊の季節に男の子を産んだ。史生は、毎朝朝露を多く含んだ、摘んだばかりの菊華で産室を飾ったが、愛音は菊の花をことのほか喜んで、顔を近づけてその香りを楽しみ、また時には朝露を口に含んだりした。ところが花弁の朝露を口にするたびに少しずつ綺麗な声が出るようになり、また耳も聞こえてくるようだった。そうして産室をたたむ頃にはすっかり普通の人と変わらなくなったのである。老翁老媼の喜びも一通りではなかった。
史生は、愛音の子供をあやす声を聞くのを好んだが、やがて老翁と酒を酌み交わしながら詩文を論じる楽しみも再び始める余裕が出来た。ある日、史生は自分がこの土地に来るきっかけとなった一句「忘憂を望めば、菊華微かに動き、露を含む英は自ら秋声を発す」を思い出した。そして菊華とはまさに愛音のことではないか、露を含む花弁によって愛音が自ら声を発するようになったに違いないと思った。職を失い、妻を亡くした憂いを忘れたいという気持ちがこの詩を生み出し、愛音という幻影を産んだのかと思い、幻影の消え去るのを恐れたのだった。しかし、愛音と子供は確かに自分のそばに居た。
史生は老翁にこの自分の詩を吟じて聞かせ、また自分の懸念も話した。老翁は静かに笑って、史生の父親が昔好んだ陶潜すなわち陶淵明の詩を教えてくれた、「秋菊、佳色あり。露にぬれたる其の英(はなぶさ)をつみ、この憂いを忘れるものに浮かべて、我が世を忘るるの情を遠くす」と。老翁はさらに、「心配はない、これは幻影ではない、むしろ詩は現実を呼び起こすものさ。あなたの父が陶潜を慕い、その気持ちがあなたに菊花の一句を生み出させたのさ。陶潜が詠った憂いをわするるもの、すなわち酒を心のままに飲むに限る」と言ってまた杯を勧めるのだった。菊花を浮かべる杯には老翁の長寿を寿ぎ、またこれからの史生の長寿を寿ぐような香りがあった。このあと史生はこの土地を離れようとはせずに、愛音とともに幸せに一生を送った。史生がこの土地を離れなかったのは、愛音が菊の精のような気がしていたので、根を移すことは愛音のために良いことではないと思ったからである。

 

木人子曰く、史生は自分の頭に浮かんで気にかかり続けた一片の詩文にひかれるように新しい人生を迎えた。それゆえ、今の幸せが自分の詩の招いた幻影であることを恐れた。しかし、老翁の言葉は更に味わい深い。詩文はまだ世の中で形にならないものを、先に言葉にすることがある、それゆえ詩文は神の声でもあるのだ。無意識から出た言葉を大切にして吟味するものはこれから起こることを予知できるといわれる由縁である。



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