邪気


靖江の楊魚容には二人の息子があった。長兄を子秀、二番目を子栄といった。二人とも大変なきかん坊で、いたずらに明け暮れするので近所の人たちの迷惑は並大抵のものではなかった。母はまわり家々に謝りどおしの毎日だった。
ある日、高名な孫道士という老人が楊の家近くを通りかかって、母親が隣家で謝っている様子を見かけた。理由を尋ねた後で道士は母親に言った。「私が役に立てるかもしれない。息子さんたちを呼んできなさい。」と。
二人の息子が来ると、道士は息子達に言った。「いつまでも、靖江の悪餓鬼で終るわけにも行くまい。お前達の身体の中に、天邪鬼というものが巣くっているのが私には見える。そこでお前達に相談したい。私には二つのことが出来るがどちらがお前達の希望か言って見なさい。一つは、私にはその天邪鬼を取り除いてやることが出来る、そうすれば心が落ち着いてひとかどの人物になれる。しかし、もしお前が強くてその天邪鬼を支配できれば、問題はなくなるのだ。天邪鬼は好き放題にさせると悪いことばかりやるが、うまく支配すれば大きな力になることもある。お前達に自信があれば、私は天邪鬼を制御する手助けをしてあげることも出来る。」
長兄の子秀は言った。「俺も自分で持て余しているんだ。天邪鬼というものを取り除けるんなら、早く取り除いてくれ。」
二番目の子栄はいった。「問題が天邪鬼だとわかったからには、天邪鬼くらい俺がどうにでもしてやるよ。」
そこで道士は護符を取り出して子秀に飲ませると、トカゲのような赤いものが苦しがって子秀の口から飛び出してきた。「これが天邪鬼だ。」道士はそう言うと小さな壷にそのトカゲのようなものを納めた。子栄には天邪鬼を少し抑える役に立つと言って前のとは別の護符を与えた。母親は大変喜んで、酒肴を用意して孫道士をもてなそうとしたが、いつの間にか道士の姿は見えなくなった。かたわらに邪鬼を納めた壷が残っていたので、母親はこれを密かに隠してしまっておいた。
その後、子秀は態度がめっきり落ち着いて、書物に親しみ、勉学に勤めたので、郷試にも合格し、隣村の巨家朱道昭の二嬢を娶って、安定した生活を送った。両親も、子秀の家に住んで、家庭内は極めて平穏であり、靖江一の名士となった。
一方、子栄は天邪鬼を自分の思いのままに牛耳ってやろうと、天邪鬼との葛藤に努めた。分が悪くなると孫道士からもらった護符で腹の周りをさすると自然に邪鬼を抑えられるようになった。数年も経つと、ほとんど護符に頼る必要もなくなった。ただ、勉学はあまり得意ではなく、腕っ節ばかりは強かったから、近在の任侠の輩から兄貴分と呼ばれて尊敬された。揉め事が起こって、子栄が出て治まらないということは無かった。子栄が齡四十を越えた頃、靖江一帯に大きな暴動が起こった。煽動したのは成り上がりの候何某で、不満のならず者を集めて次第に大きな勢力となった。候の一団が、子栄の邑に乗り込んできたとき、子栄は子分の任侠の一団を率いて、候の本隊を急襲し、あっという間に首領の候を討ち果たした。首領を失った暴徒は散り散りになり、さしもの暴動もあっけなく終息してしまった。
子栄は「その功、大なり」とその地方の長官に任命されたが、不思議なくらいよく治めて、その地方に争いは起きず、みな勤めて生業に精を出したので、大変豊かな地となった。ある人が「あんな少人数で、よく候の一団に攻め込んだものですね。」と言うと、子栄は「私には天邪鬼がついているのだから、普通の人なんか恐れるには足らない。」と答えた。また、「どのようにして上手く政務を取り仕切ることを学ばれたのですか?」と尋ねると、「天邪鬼を支配することを長い間修行してきたのだから、人々を治めることくらい何でもない。」と答えた。
母親は長兄子秀の家で亡くなったが、死ぬ間際に小さな壷を取り出して、「覚えているだろう、これがお前の天邪鬼が入っている壷だ。お前のものだから好きなように始末しなさい。」と言って、壷を子秀に渡した。母親が死んだ後、子秀は気になって壷を開けてみることにした。あの赤いトカゲのような天邪鬼はもう干からびているだろう、そう思ってふたを開けると、例の赤いものが昔のままにスルスルと這い出して来て、あっという間に子秀の口の中に飛び込んでしまった。それから子秀は人が変わったようになり、遊興の巷を遊び歩いて、淫楽にふけり、家に居着かなくなった。近所の人たちは、五十過ぎてからの遊蕩はちょっとやそっとでは直らないと陰口をたたくようになった。妻の朱も理由がわからなくて、たびたび子秀に改めるように頼んだが、今度は殴る蹴るの乱行を行なうようになった。二年後にはついに妻の朱は先立ち、靖江の名士楊と言われた子秀の一家も次第に傾いて、晩年は老残のうちに終った。

 

木人子曰く、いったい人と生まれたもののうちで大なり小なりの天邪鬼を持っていない者があろうか? それを上手く制御できるものが、天邪鬼の活力をも手に入れて成功することが出来る。子秀はそれを取り除いてもらって、穏健な人となっていったんは財を成し、平穏な家庭生活を送ったが、天邪鬼を制御する術を学ばなかったが故に、天邪鬼が戻るともうもう天邪鬼の好き放題にさせるほか無くなったのだ。



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