蕗籍


上元の李といえばちょっと名の知れた名家だった。代々科挙に合格して、中央の要職を歴任し、また江寧府の知事、照磨、巡検などにも一族から多くを輩出していた。しかし、李の二男の淳盂はまったく出世には興味がなく、科挙の勉強にもほとんど気を入れなかった。書斎にこもって書物を読むのが好きで、なかでも世俗的なものよりはやや神秘的なものを好んだ。周易などは特に興味を持って、その解説書である王弼の易注や孔穎達の周易正義などは繰り返して読んでいた。
易に詳しいという人があれば道の遠きを苦にせずに訪ねて行って、自分の疑問をぶつけたが、ほとんど満足な答えを得ることは出来なかった。もう周易の道は途絶えてしまったかと、絶望的な気持ちで卦辞や爻辞を眺めるのだった。
ある日、上元の市の雑踏を進むうちに、屋台の店と店との間にみすぼらしい老人が居て、淳盂を手招きしている様子が見えた。誰か知った人かと近づいてみたが、まるで見たこともない老人で、歯の欠けた口でにやりと笑うと、さもついてこいとばかりにすたすた歩き始めた。淳盂がついてくることを疑いもしないかのように振り向きもせずに歩き続け、やがて市を離れると長江の流れを望む古刹の山門をくぐった。淳盂にとって始めてみる寺で、今までこんなところにこのように立派な古刹があるとは寡聞にして知らなかった。 山門の中では、単衣に長めの紐帯を垂らした寺の小僧が居て丁寧に掃き掃除をしていたが、その老人を見ると深々と頭を下げる。老人は寺僧とも見えないので、この寺とどういう関係の人なのかと不思議に思いながら、境内を進んでいった。
伽藍の中で、ひときわ大きい講堂と思われる建物の中にその老人は消えていった。淳盂はあとを追って講堂に入ったが、中は暗くて老人の姿は見えない。堂内の空気はひやりと冷たく、焚かれている香のにおいと古い建物の土間のにおいの混ざった中にたたずんでいると、少しずつ目が慣れてきて、大きな仏像の輪郭が見えてきた。しかし、動くものの気配は見えず、老人の行方はわからない。
淳盂は、正面まで注意深く歩を進めていったが、本尊の周りにある脇侍や、菩薩などの塑像も面白く、老人を探すのもひとまず忘れて、それらに眺め入った。
本尊に向かって左右には太さ三尺はあると思われる大きな円柱があって、その柱に沿って金銅の幡が下がっている。精密な透かし彫りで飾られた幡には何人かの人物模様があった。一人の人物は手に箒をもって掃き掃除をしているように見える。あの有名な寒山と拾得の図かとも思ったが一人しかいない。反対側の幡にも対称の透かし彫りがあってそこにも箒を持った僧がいるから、この両者で寒山拾得かと考えたが、全く同じ対称だから、多少腑に落ちない。そのうちこの僧の長い紐帯に気がついてはっとした。これはさっき山門のところにいたあの小僧だ。その小僧の上の方を見るとあの老人までいる。小さくてよくわからないが、なんだかあの歯の欠けた口でにやりと笑っている顔のように見える。あの老人はこの幡の中に消えてしまったのか。もしかすると、自分をここまで連れてくるためにこの幡から抜け出したのだろうか。
すると堂の奥から、ひたひたと礼儀正しい歩みの足音が聞こえてきたので、身仕舞いを正して待つと、先ほどの老人が黄色い荘重な僧衣を纏って大僧正のような身なりで現れた。手には大振りの払子さえ持っている。あの貧相な歯の欠けた口元も、改めて見るとなにやら威厳さえ漂うように見える。
淳盂は最敬礼をして頭を下げて待つと、その僧は奇妙に甲高い声で語りかけてきた。
「面を上げよ。お前は若いにもかかわらず、古典を深く極めんとする心がけ甚だ殊勝であるぞ。いにしえの聖人の道は未だに絶えるべきではない。しかるべきところで脈々と続いて居るのだ。」

淳盂は答える。「私はその道を尋ねているのでございます。」
「わかっておる。わしは長い間お前を見てきた。お前の気持ちが揺るぎがたいこともよくわかった。そこで、もしお前がいかなる苦労にも耐え得るなら、おまえに誠の道に至る指針を与えてやろう。」
「どのような試練にも耐えられます。ぜひ教えを受けさせてください。」
老僧は、厳かに払子をはらいながら、「わしの後についてくるが良かろう。」と言って、堂の奥のほうへ戻っていった。
堂の裏手には小さな潜り戸があって、そこを抜けて渡り廊下を過ぎると、講堂より更に古そうな経蔵があった。その中に入ると黴臭い香りが漂っている。しかし、棚の上には多くの経典とともに古書の類も限りなくあり、淳盂の見たこともない古い易の本もある。淳盂は堪らずその古典籍のそばに行って、手にとって見る。
「よきかな、よきかな。学ぶ心が大切じゃ。ここの本を心ゆくまで読むがいい。」
淳盂にとっては夢のような言葉だった。なんの苦労でも試練でもあるものか、見たこともない本が読めるのだもの、黴臭いにおいも今では限りなく心地よく、まるで至福のときを楽しむかのように、灯火をともして本に没頭し始めた。なんと周易ばかりではない、はるか昔に絶えてしまったという連山易、帰蔵易の占筮書まである。これはまるで奇蹟だ。
日は暮れて、あたりの寒さは厳しくなってきたが、淳盂は何の苦痛も感じなかった。灯芯を掲げて書を読むのに夢中になった。空腹もほとんど気にならない。夜を徹して読んでも、まだ未見の書は限りなくある。昼は瞬く間に過ぎて、また夜が、そして朝がくる。淳盂の頬は肉が落ち、大分無精ひげも伸びてきた。
すると、突然「おい、こんなところで何をしているんだ。」という荒々しい声がする。そこには腰蓑をつけて大きな鉈をぶら下げた山人風の男が居る。淳盂が「この神聖な場所に、そんな格好で踏み込んできてはならぬ。」というと、男はカラカラと笑って「何を言ってるんだ。おまえこそこんなところに座り込んで何をしているんだ。狐にでも化かされたんじゃないのか?」と言って、淳盂の頭をぽかりと敲いた。
ふっと気が付くと、淳盂は人通りの少ない山道のはずれにある窪地の真ん中に座っているのだった。そこには石の遺構などもあって、古い塚の跡のようにも見えた。木立の向こう、はるか下方に長江の流れが霞んで見える。しかし、見渡す限り古刹や経蔵、講堂は影も形もない。淳盂の手には蕗の葉が二、三枚ある。あたりには蕗がたくさん生えていて、淳盂の周りには無数に蕗の丸い葉が散乱しているだけだ。あんなに夢中で読み続けたのに、思い出そうとしてもここで読んだ書の内容はまるで覚えていない。帰蔵、連山の極意もついに知り得たと思っていたのに。
淳盂は気が抜けたようになって、家に帰り、一月はほとんど何をする気力も出なかった。
淳盂が幽霊にたぶらかされたという噂は、上元の多くの人たちの口に上った。滑稽なこととして笑う人も多かった。
ただ上元の国子監祭酒であった董明峰は、珍しいこととして親しく淳盂を訪ね、詳しく経緯を聞いていった。明峰は親しい人に次のように語っていたという。
「おそらく淳盂は、典籍を読むことに熱中し過ぎたのであろう。特に易は書かれている事が全てではない。書かれている事は、神意を得るための手がかりにすぎない。手がかりから神意へいたるためには十分な現実感覚が必要なのだ。世の中に出て自分の目で物事を見て、世の中の移ろい動く現実を悟れば、易の手がかりから神意を読みとることが出来る。老僧は淳盂に、典籍のみにのめりこむことの空しさを教えたに違いない。典籍も蕗籍も変わりはないのだ。これは決して狐の仕業ということではない。老僧は確かに誠の道に至る指針を淳盂に与えたのだ。」
明峰の語った言葉を聞いた淳盂は、その後多くの人と交わり、やがて科挙にも受かって、数々の職位を歴任した。いつも世の動きの兆しを的確に悟り、判断を誤ることは無かったという。最後には国子監の祭酒となった。  

木人子曰く、一つのことに熱中できる人はひとたび進路を正されると順調に進んで行けるものだ。老僧が神仙だったか幽霊の類だったかはわからないが、これを一つの兆しとして正しい指針を読み解いた董明峰は優れた学者であり、易の真理を知った人というべきである。



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