木人子閑話(4)


日本土俗玩具集の高橋勘治

kanji-houkokai 


婢子会は大正十三年十一月より十五年八月にかけて活動した関西で最も古い郷土玩具の集まりで、友野祐三郎、筒井英雄、黒田源次、尾崎清次、西原豊が同人だった。筒井英雄は木人子閑話(2)で紹介した郷玩店「筒井」の店主。婢子会は「日本土俗玩具集」(全五輯)を発行したが、この第二輯第五図が左の十一本のこけしであった。ここでひときわ目を引いたのが中央の鳴子大寸物で、独特の両鬢を添えたみやびな面描と、重量感のある豊麗な二段菊の胴模様は圧巻だった。もちろんこの当時は作者名不明であった。
collection-kanjiこのこけしが再び世に現れて、こけし蒐集界の注目を集めたのは昭和十四年のことだった。当時、東京銀座(京橋区銀座西七ノ一)に古書や郷土玩具、小美術品を扱う「吾八」という店があって「これくしょん」という趣味誌を発行していた。この「これくしょん参拾壱號」(昭和十四年十一月)はこけし名作号でこけしの古品が一度に数多く紹介され、これが入札にかけられた。このなかにこの鳴子大寸物があった。しかも驚いたことに同じ作風の物が二本あった。一本は西田峯吉が、他の一本は深澤要が手に入れた。kanji-fukazawa
西田峯吉はこの鳴子大寸物の作者名追求に夢中になった。こけしの作風、形態から鳴子の高橋盛一家のものに違いないと見当はつけたものの、そのころ高橋盛は鳴子を離れて秋田に転居しておりなかなか確認することが出来なかった。ようやく昭和十七年秋田までこのこけしを持参し高橋盛に鑑定を依頼しところ、これは盛の父高橋勘治(万延元年〜大正十年)のもの、しかも明治三十七、八年に作ったものであることが判明した。西田峯吉は作者名判明の経緯を郷玩誌「鯛車」に発表した。
西田コレクションは現在、福島県の原郷のこけし群 西田記念館にある。また、深澤コレクションは宮城県鳴子の「日本こけし館」にある。

勘治作といわれるものは、この深澤、西田以外に小寸を除いて少なくとも四本以上はある。一本は「天理参考館」の八寸五分、もう一本はこのページ巻頭の「日本土俗玩具集」の深澤尺二寸の左手に立つ八寸五分、これは従来「天理参考館」のものと同一といわれていたが別物であることが最近確認された。残りの二本は旧橘文策氏旧蔵品で、昭和五十三年の「こけし古名品展」に出陳された八寸五分と六寸九分である。これは最近まで、「名作こけしギャラリー」で紹介されていたが残念ながらこのホームページは閉鎖された。
kanji-2hon ところで平成九年夏、鳴子の「日本こけし館」で興味深い企画展が開催された。これは「原郷のこけし群 西田記念館」の協力を得て開催されたもので、鳴子の工人のこけしを、西田コレクションと深澤コレクションの双方から選んで並べて展示した。このときの二本の高橋勘治も何十年ぶりかで再び巡り逢って、なかよく並んだ。
 写真向かって右が西田、左が深澤蒐集品である。写真を詳細に較べていただければ分かると思うが、「日本土俗玩具集」図版も、「これくしょん参拾壱號」の写真も、深澤蒐集品の勘治そのものである。「吾八」の入札品は関西から東京へ還流したものだった。

これくしょん参拾壱號:こけし名作号

これくしょん参拾壱號には多くの古作こけしが掲載された。

これくしょん参拾壱號:左より我妻勝之助二種、阿部廣史、高橋兵治郎、佐藤周助、高橋]吉、佐藤直助、岩本善吉三種

これくしょん参拾壱號:左より小椋久太郎二種、佐藤周助、斎藤太治郎八種

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