「アウト・オブ・民藝」


軸原ヨウスケ、中村裕太著の「アウト・オブ・民藝」を読んだ。
大正期に柳宗悦が藝術という枠組みの中に「民藝」という新しい枠組みを持ち込んだのだが、その「民藝」という枠組みに入れられたものと、入れられなかったものがある。たとえば郷土玩具やこけしなどは民藝の枠組みの外に置かれた。そうした入れられなかったもの、つまり「アウト・オブ・民藝」というもののなかにも独自の美としての枠組みを模索した動きがあった。
こうした新しい美の枠組みは、多くの人の共有する了解事項となって始めて成立する。そのためには必ず中心となった人たちのある種のネットワークが存在した。彼らはサークルを作ったり、出版を行ったりして、自分達が必要とする美の枠組みを言葉にし交換し合った。そしてそこで得られた共通の確信をもとに共有できる世界を創って行ったのだ。言葉が重要であったが故にその人たちの相関図は感性のネットワークであるとともに知のネットワークでもあった。
この「アウト・オブ・民藝」という本の中では、こけしと郷土玩具に始まって「民藝」の枠組みから外されたもののいくつかについても議論されており、それらが知的なネットワークの中でどのように美としての新しい枠組みを模索されてきたかが語られている。
問題の焦点が明確であり、また軸原、中村の組み合わせも良く、非常に興味深くワクワクしながら読了できる仕上がりになっている。
さて以降は、私が読みながら漠然と感じたり、考えたこと。
まず美の枠組み、あるいは藝術の枠組みに関して、大きな再構築の動きが起こったのは20世紀の初頭、主に1920年代〜30年代である。ヨーロッパではドイツ、ワイマール時代のバウハウス(1919〜1933)の大きな動きがあった、アメリカではマルセル・デュシャンが便器を置いただけのものを「泉」(1917)として展示した。また同じ頃ヨーロッパやアメリカではプリミティブアートやアフリカンアートの展示が盛んに行なわれるようになって、そのコレクターも現れる。つまり今まで藝術や美と見做されていないものにまで眼が行くようになり、藝術という枠組み、美という枠組みがいったいどういうものかということに関心が向くようになった。芸術や美の枠組みの再構築が必要になってきた時代であった。そしてそれぞれの世界でもその枠組みが構築されるまでにはおそらく知的ネットワークに関与した人たちの濃密な相関関係があったのだろう。
「アウト・オブ・民藝」で議論された知のネットワークによる新しい美の枠組みの模索も、そうした世界的な時代の動きと呼応していたのかも知れない。

そんなことを考えながら、読み終わった。面白かった。

〔参考〕
・ Special Exhibition Tells Story of How African Artifacts Were First Recognized as Art in U.S.

令和元年5月


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