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熱塩風影


佐藤 春二



熱塩 (旧熱塩加納村大字熱塩)は阿賀野川源支流押切川に沿った温泉地。弥治郎より大正十五年に移ってきた佐藤幸太五男春二が、この地で木地業を開業した。

佐藤春二は明治三十六年三月二日弥治郎生まれ。十四歳より父幸太について木地を修業した。末子であったため木地は主に兄の味蔵より手ほどきを受けたと言う。
大正十五年に、喜多方の知人から温泉地熱塩に土産店が無い事を聞き、熱塩に移って土産店を開くことを決心した。大正十五年より亡くなるまで間断なくこけしを作り続けた。

戦後は村会議員を三期勤めるなどこの地の名士として人望も厚かった。

昭和四十七年、熱塩で春二さんからいろいろ話を伺う機会があったが、非常に記憶力がよく、理性的な話し方の出来る人で、大正時代の弥治郎について多くを知ることが出来た。 晩年はこけしを作る傍ら、魚釣りなどを楽しんだという。

熱塩の温泉街の一番奥に護法山示現寺がある。この寺は、平安初期(大同二年)、前年の磐梯山の噴火を鎮める為に五峰山慈眼寺として僧空海が建立したもの。もともとは真言宗の寺であったが、長い間に荒れ果てしまったらしい。今から約六百年前、栃木県那須の殺生石を鎮めたことで知られる源翁禅師は奥州で曹洞宗を広めていたが、その拠点として護法山示現寺として再興したと伝えられる。奥州各地に三十七ケ寺の末寺を有する総本山。
本堂の左奥には我が国の福祉活動の先駆者「瓜生岩子」の像もある。




新山久治 新山福太郎

弥治郎風影

産地風影

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