フォト・ギャラリー

肘折の工人(3)

肘折の風影

鈴木幸之助


昭和四十一年撮影

昭和四十一年四月幸之助を訪ねたときには、団子屋を切り盛りしていた娘さんが主に応対してくれた、娘さんから四十年暮れに製作したという八寸をわけてもらった記憶がある。幸之助は翌昭和四十二年十月十六日八十歳で亡くなった。

亡くなった四十二年に幸之助最後の作品六寸十本ほどが高円寺の民芸店「ねじめ」に送られてきた。その中の一本は胴を赤い顔料が流れて、面描は形を成していない痛ましい作品だった。同送の手紙には「もうこけしは出来ません。これが最後です。・・」と書いてあったそうだ。俳人でもあったねじめ主人祢寝正也さんはその一本を手にして泪が止まらなかったと語っていた。

因みに吉祥寺ロンロン内に一時「ねじめ」の支店があって、息子さんが店番をしていた。おとなしい好人物だったが後に詩人としてH氏賞を受賞、さらに文壇で活躍して直木賞を受賞した。ねじめ正一さんである。
いま民芸店「ねじめ」は阿佐ヶ谷パールセンターに移っている。
右の写真は昭和五年頃の作品。 作風は生涯大きく変わらなかったが、昭和五年以前の作が特に古風で興趣深い。



奥山喜代治  横山政五郎

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