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山形風影


 

作並こけし発祥の調査

山形

山形の小林倉治は弘化二年十一月二十三日山形市旅籠町に生まれた。父清蔵は紅屋と称し紅花商を営んでいた。一説には小林という旅籠を営んでいたとも言う。万延元年十六歳の時、作並に行き南條徳右衛門に就いて木地の修行を始めたが、徳右衛門は老齢であったので主に兄弟子の岩松直助の指導を受けた。作並では玩具も作り、草木を煮て作った染料で色付けをしたと息子の吉三郎に語ったという。
慶応二年二十二歳で山形に帰り、明治元年ころ木地を開業した。戊辰の役では木弾を挽いたともいう。
明治の文明開化によって西洋建築が山形に入ってきた頃、建てられた県庁や済生館の階段の手摺や擬宝珠も倉治が挽いたという。山形県庁は残念ながら明治四十四年の大火で焼失。現在国の重要文化財になっている山形県旧庁舎(文翔館)は大正五年に再建されたもの。一方、明治十一年に着工落成した済生館は類焼を待逃れ、現在は霞城公園内に移築されて山形市郷土館として現存している。
倉治はこけしや玩具も盛んに作り、明治二十年頃からは後の勧工場の場所にあった店で売ったというが、その遺品は残っていない。明治三十三年に長男倉吉に工場を任せて隠居した。隠居後も明治三十八年頃までは盛んにこけしの描彩をしていたという。この頃は寸法ごとに分業して、倉吉が大人形、吉太郎が中人形、吉兵衛が相人形を挽き、倉治がもっぱら描彩を行っていたという。

長男倉吉、二男兼吉、三男吉兵衛、四男吉太郎、五男吉次、七男吉三郎はいづれも倉治について木地を学び、こけしも作った。ただ兼吉、吉次のこけしは確認されるものが残っていない。

倉治の弟子としては明治十一年入門の神尾長三郎(天童)と奥山安治(谷地)、明治十五年入門の鈴木米太郎(寒河江)が知られている。

明治二十四年には、土湯出身の阿部常松が倉治のもとに滞在して一人挽きを山形に伝えた。常松は阿部治助の叔父にあたる。土湯で既に一人挽きを身につけたが、明治二十一年青根に行って佐藤茂吉に手直しを受け、さらに蔵王高湯に移って万屋の職人をした。山形は、この常松との接触により、青根で始まった一人挽きに伴う系統分化の洗礼を受けることになった。胴の形態に工夫が加わったり、時には蔵王高湯風の黒頭のこけしも作られるようになった。一方で、常松自身や息子常吉のこけしの胴模様などには山形小林一家の影響が残る。




長男倉吉は明治十七年十四歳から木地の修行を始めた。製品の多くは玩具商北国屋に卸したり、勧工場の店に出して商った。明治三十四年に作並から来た平賀謙蔵はこの倉吉に就いて木地を学んだ。
吉三郎清次郎三男吉兵衛は明治二十二年頃から、四男吉太郎は明治二十四年頃から、七男吉三郎は明治三十三年頃から木地の修行を始めている。

小林一家は明治三十八年頃までこけしを盛んに作ったが、薄荷入れの需要が高まると、その生産に追われて、玩具類を作る余裕はほとんどなくなった。こけしを再開するのはこけし蒐集家が現れるようになってからで、現存するこけしは倉吉、吉太郎が大正十年代、吉兵衛が昭和十二年頃、吉三郎が昭和十五年頃以降である。

戦後になって多くのこけしが新型の影響を受けていた頃、吉三郎は「昔のこけしはこういうものだった」と言って直胴上下に鉋溝を入れ、花模様を描く相人形を作って明治様式の清新なこけしを復活させた。

吉三郎の次男清次郎は昭和八年高等小学校卒業後から木地の修行を始めた。修行時代にはこけしやヨーヨーなど玩具も挽いたが、米沢に移っていた叔父の吉太郎の注文で機業木管類を主として挽くようになった。戦後は吉三郎とともにこけしも再び作り、吉太郎、吉兵衛の型も研究するようになった。昭和三十九年に作った六寸の吉太郎型は、吉太郎に肉薄した出来で蒐集界の注目を浴び、昭和四十一年の「美と系譜」で写真紹介された。

この当時、私は学生で、リュックサックを担いで上野発の夜行列車に乗り、早朝山形に着いて円応寺町に吉三郎さん清次郎さんを訪ねるということがしばしばあった。戸口から声をかけると清次郎さんはいつも無言で、まず私の顔をゆっくり見上げて、挨拶も無いまま、「おめぇ何しに来たんだ。まだ朝飯食ってないんだろ。まず上がって飯さ食べろ」と言う、その言葉に甘えてたびたび朝ごはんを御馳走になった。仕事場には、清次郎さんの職人をしていた我孫子さん(後に阿部家に養子に行った阿部正義さん)がいてこれをにこにこ見ていた。吉三郎さんは端然として胴模様を描いていて、描きあがると机の上に整然と立てて並べていた。

清次郎さんは研究熱心で、蒐集家のところを訪れて、吉太郎、吉兵衛など多くの古いこけしを凝視した。そしてそれは彼の作品に成果となって結実していった。

この写真は、東京の久松保夫さんのお宅で吉太郎古作を見入る清次郎さん、その姿に久松さんは湯呑み片手にうれしそうに視線を送っている。




高橋胞吉

作並の風影

産地風影

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