「日本民藝館」の黒こけし
「こけし手帖第6号」で米浪庄弌さんによって紹介された黒こけし写真
本年(2012年)4月から始まった民藝館の企画展に黒こけしが展示されていると聞いて、30余年ぶりに駒場の日本民藝館に行ってみた。
入口と本館はむかしのままだったが、本館の後ろに新たに展示館が拡張されて、多くの収蔵品が見られるようになっていた.
今「東北の工芸と棟方志功」展をやっている。志功板画では「祈り」と「自然」をテーマにしたもの、東北の工芸では漆器・絵馬・編組品、三春張子などの展示があり、黒こけし一本もそこに並べられていた。
民藝館の黒こけしは「こけし手帖・6」(昭和30年)に米浪さんによって既に紹介されている。ただ米浪さんが実物を見たわけではなく、柳宗悦さんから写真を送ってもらっただけのようだ。
今回の企画展ではこれが2階展示室第4室に展示されていた。解説は「無文 こけし 江戸時代」とあったが、無文ではなく描彩文様は子供が遊ぶにつれて消えただけ、時代は江戸ではなく明治20年代以降、おそらく作者は蔵王高湯の岡崎栄治郎かその周辺の工人が妥当であろう。
米浪稿では「誰でも見せてもらへる」とあるが、この黒こけしが展示されるのはまれで、今回は貴重なチャンスであった。
民藝館にはこけしはこれ一本の筈だ。柳宗悦は尼崎の米浪邸を訪れても、こけしの部屋はさっさと通り過ぎて、古伊万里と大津絵の部屋に直行したという。もちろん、米浪さんの古伊万里と大津絵のコレクションは一級だった。しかし、こけしだって一級だったはずだ。
柳宗悦にとっては華美な色彩の模様で彩られているこけしは苦手であって、この民藝館蔵品のように無文となった黒こけしにのみ民藝の心を感じることができたのだろう。
民藝館企画展のパンフレット 日本民藝館の正面(井の頭線駒場東大前下車)
神田にある古書肆「ひやね」は、御主人が修業した「吾八」の商風を継いで、今でもその二階でこけしを扱っている。毎月第一金曜日には一金会、第三土曜日には三土会と称して、こけし同好の人士が、その「ひやね」の二階に酒とこけしを持ち寄って歓談の集まりを続けている。
今年(2013年)の10月三土会で、岡戸正憲さんが「こんなものがありました」と言って取りだしたのが、下の写真の葉書、柳宗悦から米浪庄弌に宛てた古い賀状であった。文面は次の通り。
『恭賀新春 正月元旦 「こけし手帖」お届けくだされ感謝、見ていただいた後だったら尚よかったと思ひます。 陳列しておきましたが態々見に来た客はないやうでした。ご一家のご平安をいのります』
この文面の「こけし手帖」は前掲の昭和30年12月発行の6号のこと。写真消印のようにこの葉書は昭和31年の年賀状である。当然、「見ていただいた後だったら」とは民芸館の黒こけしのことで、黒こけし実物を見てこの手帖原稿を書いて頂けたら「尚よかったとおもいます」という意味だ。
普通この葉書の文面だけでは何の意味かは解りかねるが、手帖6号のことが頭にあれば、実はとてもドラマチックな葉書だった事がわかる。今になって柳、米浪の交流の姿が目に浮かんで来るような葉書を目にすることができるというのはちょっとした奇跡のようにも思える。