飯坂の四辨花


「おしゃぶり」の鯖湖

日本橋南詰四辨の花を菱形に描くのは、飯坂八幡屋の佐藤栄治であるが、鯖湖のキンも始めは栄治の影響を受けて四辨の花を胴に描いていたようだ。
もともと渡辺角治は明治二十三年に土湯から移り、キンと結婚して飯坂鯖湖湯で開業したが、その当時は、描彩するものが居らず、八幡屋の栄治にこけしの描彩を頼んでいたらしい。やがて人形の顔描きに長じていた温泉宿山形屋主人の指導を受けて、妻女キンが描彩するようになったといわれている。因みに、この山形屋主人も土湯出身といわれる。

そういう鯖湖こけしの成り立ちから、栄治の作風を吸収していることは自然であり、実はキンのあやめ模様も、栄治のあやめの変形である。あやめの胴の裏側に四辨の花を上下二段に描くこともよくある。


ここに紹介する写真は、大正十四年二月二十日に刊行された「おしゃぶり・東北編」に掲載されたもの。発行兼編輯者は有坂与太郎である。おそらくこれらのこけしも有坂蔵品であったろう。こけしの作者は右から鳴子・高橋武蔵、鯖湖・渡辺角治、キン描彩、倒されているのが山形の小林倉吉である。


この鯖湖の特徴は胴中央をロクロ線で締め、その上下に四辨の花を配置するという点にある。四辨の花を胴の表に描くというのは非常に特異な様式である。中屋惣舜氏も「木の花・第二十七号」の「こけし文献手かがみ」で「おしゃぶり」を取り上げ、この鯖湖に関して「非常に珍しい胴模様である」と書いている。私もこの手の実物は見たことが無い。ただ、栄治の影響が底流となって鯖湖こけしが生まれてきたことをはっきりと示すこけしとして実に興味深い。



因みにこの本の装幀を行なったのは日本画家・島尻是空、腕白小僧が土塀に五寸釘で悪戯書きをしたといった趣向である。有名な歌川国芳の釘絵「荷宝蔵壁のむだがき」の趣向に倣った物であろう。



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