鳴子道祖神
鳴子こけし通りの道祖神
久松保夫氏は「木の花・第五号」の「続・はうこ考(上)」で鳴子の道祖神について次のように言及している。
ところで、かねて気がかりな記載があった。前山、谷崎編『東北民俗資料集』(二)収録の次の証言「鳴子町こけし通り主婦(五十歳)・・・・病人が続々と出たので昔からあった道祖神をないがしろにしたタタリと聞き、こけし通町内会婦人部が中心になり祭りました。・・・子供の病気(百日ぜき)にいいというので子供の守り神と思い進学祈願などもします。御神体を借り祈願がかなうと二本にしてかえします。コケシ屋さんにロクロでひいてもらいます」
『鳴子町史』上(昭和四十九年刊)は、洞川院に遣る”弁慶手もみの道祖神”伝説は語るが、このささやかだが見過ごし得ないこけし通の<昔からあった道祖神>については何の記載もない。昨夏こけし祭の際このことを話すと、幸い西田峯吉氏が所在をご存知で、道案内をお願いしてお詣りした。日頃は扉が閉ざされているようだが、祭の日なのてトクと拝観することができた。ご神体はやはり陰陽石で、その前に大小新旧さまざまな木製男根が供えてあった。奉納者の名を墨書したものもあったが、筆者が特に興味をそそられたのはまるでお地蔵さまにするように、その頸(?)に赤い涎掛けをさせたのが何体かみられたことだ。橋本正明君撮影の写真の右方に、大小二本ほど覗くのがそれてある。
久松さんは「木製男根とお地蔵さまに類推的思考のリンクが張られていた」ことにまで関心を広げている。。