蛇ノ目と渦巻 

人間はただ物理的宇宙ではなく
シンボルの宇宙に住んでいる  − カッシーラ −


konohana-15
 「カトマンズには空飛ぶ円盤が出る」という話を、帰国したばかりのカメラマンから聞いた。空飛ぶ円盤が出ると町の人はポカンと口をあけて、空を見つめ、円盤が消えると、また日常の生活を続ける。あまりに度々、円盤が出現するので、皆もう慣れたもので「また出ましたか」という調子なのだそうだ。円盤マニアにとっても、ちゃんとネパールは円盤多出現地域としてリストアップされ「ヒマラヤ山中に円盤の基地があり」という説を発表している人もあるらしい。そういえば、小松左京のSF小説「見知らぬ明日」に出てくる宇宙人襲来も、円盤で最初に飛来する場所が、中国奥地のチベットあたりではなかったかと思う。ヒマラヤの、あの天に達するばかりの高い山々と、天からやってくる円盤とは、やはり、何か強い繋がりがあるに違いない。

 カトマンズは、ネパールの首府、標高一二五〇〜一四〇〇メートルにあるカトマンズ盆地のほぼ中央に位置する。仏教、ヒンズー教、ラマ教の三つが渾然一体となり、さらに土俗の呪術的な色彩の強い万神が加わった、異様な混合神群が、今でも支配力を失っていない。一年中、毎日のように何らかの祭が行なわれているらしい。「ネパールの生神様」(平凡社カラー新書)を見ても、童女クマリを中心とする不思議な世界が、かなり生々と写し出されている。「カトマンズに空飛ぶ円盤が出る」という話に、奇妙な説得力を感じるのは、土地の人がサガルマタと呼ぶ聖なる山エベレストとの連関だけではなく、こうしたカトマンズの色鮮やかな宗教世界をともに想い浮べることが出来るからであろう。

 心理学者のユングが「空飛ぶ円盤」という興味深い本を書いている。いくつかの訳出があり、例えばエビステーメー叢書(朝日出版社)の一冊としても出版されている。ユングは、フロイトの著作によつて啓発され、精神分析運動に加わって一方の旗頭となったが、後に意見の相違が大きくなってフロイトから離れた。ユングの名とともに知られるエラノス会議は、スイスとイタリアにまたがるマジョーレ湖畔で毎夏、開催された小さな集りであったが、当時のヨーロッパの知性を代表するユニークな学者が多数参加し、人間の精神とかかわる歴史および環境について討議した。宗教学のエリアーデ、神話学のケレーニィ、敦煌の発掘者として知られるペリオなども、エラノス会議のメンバーであった。

 「UFO体験にともなう心理的体験の中心をなすものは、円いものの幻視ないし伝説である。それは全体性の象徴であり、曼陀羅形成のうちにその存在を告げる元型である。曼陀羅は普通、困惑や無力感をともなう状況にあって出現することが経験から知られている。そのような状況によつて布置される元型は秩序の図式を表わしている。(中略)それによつて個々の心的内容は、おのおのその所を得、ばらばらに拡散していた全体性は、この包みこむ円のうちに収められ守られるのである」ユングは、円盤という形象を見るという体験が、種々の対立によつてばらばらに分散し、アイデンティティを失って不安定になっている心理的状況を、一瞬にして秩序化し、完結した全宇宙的、全時間的世界観の形成へ導く心理的体験だと言っているのである。

 カトマンズは、こうした空からの神体顕現という形の宗教的な体験が、今日でも色濃く存続できるような、そんな環境ではなかろうかと思う。
    ☆
janome
 ところで私は、空飛ぶ円盤の話を聞きながら、しきりに土湯系のこけしの頭項の蛇ノ目を想い浮かべていた。勿論、こけしの蛇ノ目は、幼児の中剃り(頭項の毛髪を円形に剃り落す習俗)から釆ているのであろうが、そうした具体的な形を単に抽象化したという以上に、その円形の図象の意味は深いような気がする。 蛇ノ目という紋様は、弦を巻いた形から来ていると言われているが、蛇がグルッと円周を描いて横たわっている形が元型であろう。倉橋由美子に「蛇」という、あまり気持の良くない小説があって、Kという男の腹の中に居すわった蛇が、空腹のあまりKの口からじょじょに頭を出してたれ下り、ふりむきざまにKの顔の前で、大きな口をあけて、Kを呑み込んでゆく、Kの口から蛇がずるずるとたぐりだされ、同時にKのからだは頭から次第に蛇の中に没してゆく、といった展開であった。蛇が自分の宿主を自己完結的に呑み込んで反転してゆくというイメージは、奇妙に生々しく、鮮やかな印象を与える。urobo

 ところで、竜もしくは蛇が自らの尻尾を呑み込んで、円環を描いている図象というものは、極めて普遍的で、終りのない円環は、永遠の繰り返し、生と死、そして再生の無限の循環を象徴している。それは、一定周期をもって絶えず回帰する円環であり、全時間の秩序化でもあるのだ。

 「イコン」(図像の単位)を構造論的に分析し、「精神史」としての美術史研究の基礎を確立したパノフスキーも、その主著「イコノロジー研究」の中で、時間的意味を強調するために「時の翁」像の中に付加された、自分の尾を噛む蛇ないし竜について触れている。kasayo

 「時の翁」の元型である農耕の守護神クロノス(Kronos)には、本来「時間」の観念はなかった。たまたま「時間」を意味する同音異語のクロノス(Chronos)との類似から、手鎌を持った歳老いた農耕神クロノスに「時間」の観念が絡み付いてゆく。
時間的意味を強調するようになった紀元前四−五世紀ごろから大鎌を持ったクロノス像に、永遠に循環する「時間」を象徴する「尾を噛む蛇」の図像が付け加えられるのである。「時間」は、すべての生命を生み出し、そして奪い去るものだが、この冷酷に奪い去るという側面が強められた時、「死」のイメージと結びつくようになり、大鎌を持った「時の翁」は、次第に死神の姿に変ってゆくのである。

「空飛ぶ円盤」を書いたユングは「心理学と錬金術」の中で、やはり自らの尾を咬む竜ないし蛇(ウロポロス)について言及している。すなわち、竜は錬金術の具体的象徴として最古のもので、一つにして全なるものである錬金術の作業の円循環的性格を表わしているのだという。ここでは尾を咬む竜の自己完結的な全体性がむしろ注目されているのである。


 円形という形象が、秩序化された完全な世界であり、また中心の象徴としての機能を持っていることは、エリアーデも「イメージとシンボル」の中で、曼陀羅を例に上げて議論している。曼陀羅という言葉自体が《輪円》という意味であるが、あの空飛ぶ円盤を絶えず目撃するというチベット人達が、曼陀羅を更に《中心》とか、「周りを囲むもの」とかの意味にいい変えているというのも、ユングの円盤の解釈と関連して面白い符合である。

 さて、蛇ノ目が、円環を描いた蛇であるとする長い人間精神の歴史があり、そうした図象体系の文法が今でも生きているとすれは、土湯こけしの頭頂の蛇ノ目からも、我々は何らかのメッセージを無意識のうちに受けとっている筈である。

 聖者の光輪、勝利者の月桂冠、孫悟空の金環、河童のサラ、能の金輪など、通常の人間を超えるものが、一様に頭に円環をのせているのも、理由のないことではないだろう。我々自身、普段以上の力を出したい時には、ハチマキをしめたりするのである。

 能や狂言、あるいは民話的世界で、訪問する神(まれびと)が、笠をかぶったり、傘をさしたりしているというのも、頭上に円形のものを戴くといぅ事に意味があるのではないかと思う。土湯系では、よく笠付きのこけしなどというものを作るが、蛇ノ目と笠というのは、シンボル体系として等価で、交換が可能だからかも知れない。頭に円形図象を描く土湯と弥治郎(例えば、弥治郎では新山栄五郎や佐藤慶治)にだけ笠こけしがあって、手絡を描く他の系統で、笠こけしがないのは偶然ではないだろう。(戦後になって土湯・弥治郎の影響下に笠こけしを作るものが他系統からも出てきているが、起源の古いものではない)

 こけしが木製の棒であり、人間を超えるものの憑依する形象であるということについては、図像学<こけしと杖あるいは棒における象徴作用>で詳述したが、土湯こけしの場合、頭頂に蛇ノ目という《中心》の象徴を戴くことによつて、さらにその意味を強化してもいるのである。まさに土湯こけしは、神体である空飛ぶ円盤を頭上にのせていると言ってよい。
    ☆
prokuro 
 さて、土湯こけしの特徴はと尋ねられたら、まず思い浮ぶのは頭の蛇ノ目に加えて胴のロクロ模様であろう。赤や緑、時には紫を加えたリズミカルな線の動き、胴模様としてのロクロ線の、多彩な、諧調のとれた変化は、まさしく土湯こけしの大きな魅力である。
 ロクロ模様は、ロクロで回転しているこけしの胴に染料をつけた筆を押しあてさえすれば出来るのだから、自然発生的な手法であると考えている人も多いが、これははたして本当であろうか。こけし一〇系統のうち、ロクロ模様を主体としているのは、僅かに土湯と弥治郎の二系統に過ぎず、遠刈田などでは、独楽に線模様を描く時でさえ、二人挽時代には鹿皮の上で独楽を廻し、そこに筆をあてて彩色したと言われている。つまり、ロクロ模様という線模様は、ロクロ技術により自然発生する普遍的な手法ではなく、こけしにおいては土湯と弥治郎が造形意識に従って意図的に採用した手法であるというべきである。
 ロクロ模様が、ロクロという技術によつて自然発生的に生まれたのではないかとする通俗説は、美術研究史的に見ると、ゴットフリード・ゼムベルの技術的唯物的成立説に近い。ゼムベルは、幾何学模様の成立を、機織技術による規則性から説明した。この比較的わかり易い解釈はすぐに通俗化して「造形形式は、材料および技術の産物である」という割り切り方が、長い間、美術研究を支配したが、これをアロイス・リーグルは「美術様式論」(一八九三)で理論的に批判したのである。リーグルは「純然たる偶然が、最初の文様をこの世にもたらしたのではなく、人間が種々の色の茎を意識的に(「ある動機によつて」)選び、それをリズミカルに変化づけ(「いろいろの(変化ある)順序」)ながら編むことが、文様にみちびいたのである。とすれば事柄の全体を通じてあきらかに芸術思想がみとめられる」とした。芸術意識が模様を生み出すのであって、技術が模様を生み出すのではなく、幾何学模様も機械技術より、はるかに古く遡り得ることを示した。
 同じ様に、ロクロ模様も、ロクロという技術によつて、偶然に発見されたものではなく、すでに回転する線模様という芸術的な空間意識が、まず初めにあったと考えなければならないだろう。
 回転する線模様として、まず想い浮ぶものは、渦巻=スパイラルである。渦巻は、装飾模様の中で、最も基本的であり、世界中のいたる所で見出すことが出来る。おそらく、人類がシンボルと見立てた形象の、最も始源的なものの一つであろう。
mesopo
 渦巻の形は、自然界にも沢山ある。例えば水流、雲の流れ、かたつむり、羊歯、竜巻など。従って、渦巻模様はこうした人間をとりまく環境の中から、その形を模放して作り出したとする考えがある。しかし、このような起源説からは、渦巻の象徹する意味についての理解は生まれてこない。
 フランスの人類学者で、先史学的かつ民族学的アスペクトを両有するルロワ=グーランは「身ぶりと言葉」の中で「図示表現は現実を素朴に再現するのではなく、抽象することから始まった」のであり、しかも「形を表現した表徴」より、「リズムを表現した表徴」が先に現れていることを指摘している。その点で「象形芸術はそもそも言語活動に直接結びついており、芸術作品というよりは、最も広い意味での書字(エクリチュール)にずっと近かった」という。篠田浩一郎は「形象と文明」で、ルロワ=グーランの展開を要約し「人類による表象(再現)作用の起源は、具象的な絵=具体的な対象を描くことにではなく、対象をシンボル化した広い意味での記号を書くこと(記録すること=アンスクリール)に由来する」という結論を導びいている。従って、図象によって構築された対象は、「記号の働く空間として、記号を通じてこれを解読できる可能性がある」ということになる。
 さて、渦巻模様も素朴に自然界の対象を模倣することによつて生まれて来たのではないとすれば、どのような記号内容=シニフィユをもっているのか考える必要があるだろう。
 エリアーデはいう。「この渦巻モチーフもまた、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの多くの場所で見出されている。しかし、渦巻のシンボリズムはもう少し複雑であり、その《起源》はなお不明であるということを付け加えておかねばなるまい。暫定的になら、少なくとも渦巻きの象徹的多価値性、その月との親縁関係、稲妻、水、多産性、生誕と死後の生との親縁関係などは書きとめておいてよいだろう。」(「イメージとシンボル」)
 渦巻および螺旋模様に関する研究の整理という意味では、海野弘の「装飾空間論」、渡部真臣の「螺旋空間の図像学」などがある。
spiral 渦巻に関する研究の中で、特に注目すべきものは、ケレーニイの「迷宮と神話」であろう。ケレーニイは迷宮を象徴する形として、渦巻が用いられていること、迷宮はすなわち冥府であり、迷宮に一旦入って再び出てくるという動作は、死と再生を表わしていること、さらには、迷宮の形象というのは舞踏と深い関係があること、いいかえれば輪になって踊り続けるという動作がもっている、死と誕生のモチーフが迷宮のモチーフと同一であることを指摘した。

そして、迷宮の象徴像である渦巻のリズム感覚に言及して、「線の起源は運動である。それは成立しながら成長したようなものであり、いいかえれば有機的−統一的であって、分節化されれば、本能的−律動的となる。このような運動はそれ自身のうちにその意味を宿している。それはあらゆる音楽的表現と同じほどに意味深いものである。内部に向って回転し、また外部に向って展開していく螺旋は、かかる運動に対応している。」と言っている。spiral2

 ルロワ=グーランは、オーストラリアのチュリンガ(抽象的なモチーフを刻んだ、石や木の板)の螺旋などを取りあげ、祭祀の時に、朗誦のリズムに従って、指の先で形をたどつてゆく、すなわち言葉のリズムと、図示表現のリズムとが対応していることを示した。


 洞巻は、単に形を表現するだけではなく、リズムを表現する表徴としての機能が、基底となっていることがわかる。
shikaji かつて、「遊芸文化の爛熟した土湯、あの治助の胴模様を目で追ってゆくと、どこからともなく浄瑠璃三味線の太い音色が響いてくるようではないか」(「木の花・第十一号)と書いたことがある。また鹿間時夫氏も、「治助こけしの真価はその変化極りない微妙な諧調のとれたロクロ模様である。(中略)楽譜を読むように上から下へ、また下から上へ追って行くと赤青白のトリオは静かなソナタを奏でる。」(「こけしの美」)と書いている。土場こけしのロクロ模様にとって、リズム感覚というものが、魅力の大きな要因となっていることは疑うべくもない。

 海野弘は、迷路の模様に言及して、「迷路の旅は冥界下りであり、そこを抜け出ることは甦ることである。(中略)迷路の空間は、その部分をくまなくたどり、終点にたどりついた時に、我々のものとなる。人間は無限定の世界にのりだし、足によつて道をつけていって、世界の一部分を見えるものとして切り取るのだ。(中略)道をつけるとは、世界を空間化することであり、空間に秩序をつけて、人間化してゆくことであり、それ故に、空間のオーダーにかかわるところの装飾は、道に密接な関係を持っている。迷路の文様は視覚的にこのことを最もよくあらわしているのである。」と言っている。


 回転する線模様が、死と再生を象徴した、冥界への道行きであるとするなら、治助のロクロ模様によつて導かれる浄瑠璃三味線は、おはつ徳兵衛、曽根崎の「あだしが原の道の霜‥…」あたりのくだりでも奏でているのであろうか。無限定な「霜」は「一足ごとに消えてゆく」ことによって死の世界への道行きを視覚化してもいるのだ。

    ☆sendan

 こけしのロクロ模様が、平面に描かれた渦巻模様と異なるのは、それが棒状の胴に、巻くように立体的に描かれる点であろう。従って、死と再生というモチーフは、ロクロ線をたどって下降し、再び上昇するという、上下関係を明確に意識したかたちとなる。

 湊屋浅之助に、息子の米吉が、こけしの胴模様について尋ねたところ「これか、これはセンダン巻だなあ。」と答えたという(深沢要聞書「こけしの追求」)。センダン巻というのは、槍の柄を密に籐などでぐるぐる巻いてしめたもののことを言う。おそらく、槍のもっている上昇するイメージ、天にとどくというイメージと、センダン巻とは無縁ではあるまい。浅之助の次男粂松はこのセンダン巻の胴模様の六寸をよく作った。
 こけしにとって、ロクロ模様は、天に達する螺旋階段であるとともに、正面から見たときは、そのまま、一段一段昇ってゆく梯子でもあるのだ。そして、その梯子の頂きには、《中心》を象徴する円環=蛇ノ目を戴いているのである。エリアーデはいう。「階段は、それが《中心》に建っているとみなされているがゆえに、存在の様々に異った諸界の相互の行きかいを可能ならしめるがゆえに、そして最後に、それが三つの宇宙界をひとつに結びつける神話的な梯子の、蔓の、あるいは蜘蛛の糸の、宇宙木の、あるいは普遍的支柱の具体的な一定式にすぎないがゆえに、万物を象徴するのだ。」
    ☆
 人形は、本来人間を超えるものを表わす、あるいは、人間を超えるものの憑依する憑代であった。

 こけしもひとつの人形として、湯治に行った農民達が、回復した体力とともに、五穀豊饒・多産の能力=山の神を村へ持ち帰る時、その山の神が憑依するものだったのである。山の神と人間の世界を結びつける梯子でありそこが聖なる神の通路であるから《中心》としての円環を戴く、そして、その渦巻と円環は、「死と再生」というモチーフ、さらに「死と再生」を循環するというリズム感覚を伴って、土湯こけしの表徴的な世界を形成しているのである。
    ☆
 ところで、土湯こけしの蛇ノ目とロクロ模様について考えている時、妙に気になることが二つあった。一つは、江戸末期に土湯にあつたという廻り舞台であり、もう一つは、太治郎が熱中していたという小唄勝太郎のレコードである。ともに回転する円盤であって、土湯の模様を生み出した感覚と共通のものがあるのではなかろうか。
 暗の世界から一転して明の表舞台に変る、廻り舞台も、やはり「死と再生」の感覚を呼び起したのではないだろうか。風呂上りの白蝋のような手で、神経質にレコードを操作する太治郎の目に、ゆるやかに回転する円盤は旋舞しつつ冥界に向うような陶酔を感じさせたのではないだろうか。
 土湯の人々は、昔から廻る円盤に魅せられていたようである。もしかしたら、土湯にも空飛ぶ円盤が出るのではないか…。

《参考文献》

・ユング‥「空飛ぶ円盤」朝日出版社

・ユング‥「心理学と錬金術」人文書院

・パノフスキー‥「イコノロジー研究」美術出版社

・エリアーデ‥「イメージとシンボル」せりか書房

・リーグル‥「美術様式論」岩崎美術社

・ルロワ=グーラン‥「身ぶりと言葉」新潮社

・篠田浩一郎‥「形象と文明」白水社

・海野弘‥「装飾空間論」美術出版社

・波部真巨‥「螺旋空間の図象学」(「萌春」二六四)日本美術新報社

・ケレーニイ‥「迷宮と神話」弘文堂



ホームページへ