こけしの文化史 (8)


こけしとの対話の物語


中井久夫は精神科の医師で、かつ研究者でもあるが、その書いた本を三十代のころに読んで、私は大変興味を感じた。「分裂病と人類」は最初に読んだ本で、その本に刺激を受けて、私は「何故、こけしは東北に発生したか」という原稿を書いたが、これは「木の花」の最終巻となった第参拾弐号に掲載された。特に刺激を受けた部分は、彼が宗教権力と世俗権力(政治権力)の葛藤の歴史を分析した個所であって、近世以前に世俗権力が宗教権力より優位に立った国は、日本が世界でほとんど唯一であることを指摘していた。
しかし、いま読み返してみると、ここは彼の主要な論点ではなく、ある章の後ろに付けた註の中で軽く触れていただけに過ぎない。30年前の私は、特定の細部に反応していたことがわかる。
今年の文化功労者に中井久夫が選ばれたことを機縁に、彼の本をわが書庫から集めてみると、思いのほか沢山あって、初期の「分裂病と人類」「西洋精神医学背景史」「天才の精神病理」に加え、ちくま文庫で最近続けて出版されてきた「中井久夫コレクション」の数冊があった。このほかに岩波現代文庫の「治療文化論」も読んだ筈だが、わが書庫のどこかに埋もれて今は見つからない。   
そこで、まだ読んでいなかったちくま文庫版の中井久夫コレクションを全て揃えて、再読した。次にハードカバーの「徴候・記憶・外傷」(2004年みすず書房)も購入した。これはまだ読み始めた所だ。通読すると、非常に面白くて興味のアンテナにビンビン響く箇所がいくつもあった。ちなみにこのアンテナと言う表現は中井久夫が特別な意味を込めた用例であって、この感度が強すぎると支障をきたす。

彼の本を読んでまず感心するのは、多くの専門家や先人たちの考えや理論の受け売りをほとんどせずに、自分が仕事や研究を通して、確かに感じて、納得したことを、自分の言葉で記述している点であって、極めて説得力があり、腑に落ちる点が多い。
これは専門の精神医学や統合失調症に関する記述ばかりではなく、例えば歴史の中の戦争の俯瞰的巨視的な分析や、ヴァレリーを中心とした詩人たちの関係を論じる場合においても同様なことが言える。そういう意味ではテーマの背景となる知識を持たずに読んでも、実に面白い。
特に私の読書は、じっくり読んで著者の考えを理解するというよりは、その本のいろいろなところに埋め込まれている起爆剤に反応して、勝手に自分の空想、思索、連想を展開させてしまうという読み方だから、時には読んでいる最中に妄想に近いものが独り歩きを始めることもある。従って、私にとっては私が反応する起爆剤が多く埋め込まれている本が面白い本で、そういう意味では、中井久夫の本には至る所にそういう起爆剤がひそんでいる。それが私のアンテナに反応してしまうのだろう。

特に興味深かったところを二、三あげると、


さてここからが、今日の本題だ。中井久夫の本で気になったもう一つの箇所、それは次のような記述だ(「絵画活動」(ちくま文庫「『伝える』ことと『伝わる』こと」)。
どんな絵が治療的環境をつくるかはこれからの良いテーマである。土産物とか素人画家の絵は患者に感銘を与えないようである。複製でよいから第一級の画家のものがよい。
いろいろな画集を筆者の入院患者に見てもらったところでは、デュフィにかなりの票が入った(統合失調症系の人たちである)。それからルノアールのあたたか昧のある風景画(というものはあまり多くないが)も良かった。逆にカンディンスキーは好まれなかった。ビュフェはどうもいけないようである。総じて悪夢的な絵はよくないが、あまり楽しそうなのも苦しいようである。
土産物とか素人画家の絵が患者に感銘を与えないということは、やはりアウラ(オーラ)のない絵は人を動かせないということだろう。いい絵なら複製で十分というのは、小林秀雄と同じだ。さて、それではデュフィからビュッフェまでの違いはなんだろうか? こけしにも同じような違いがあるのだろうかと言うのが今日の話である。

デュフィに何故一番票が入ったのかは分からない。オーケストラの絵や人の多く描かれたものではなく、おそらく花と絵のある暖色系の部屋のような絵なら好まれるだろう。ルノアールも選ばれるのが可憐な少女より、温かみのある風景画というのは面白い。カンディンスキーはおそらく何かが解体していくような、コントロールが破綻するような恐怖を感じさせるかもしれない。同じように色調の抽象であっても、クレーのように構築され築き上げられていくようなものなら安心感があるのだろうか。ビュッフェの周囲を拒絶し、ささくれ立つ輪郭の強調は辛すぎるかもしれない。

昭和40年代に「こけし夢名会」という集まりがあった。当時はこけしの復元に対して厳格に規制しようとする一部の動きがあったから、それじゃあ蒐集家がわくわくするようなこけしを我々が工人に作って貰って会員に頒布しようという集まりだった。菊本栄次、鹿間時夫、白鳥正明、橋本正明、箕輪新一を同人として運営し、昭和43年9月発足した。文吉の伊之助型、渡辺定已の佐久間米吉型、由吉型、小林定雄の小林英一型と高橋市太郎型、島津誠一の彦三郎型、柿崎文雄の岩本善吉型と氏家亥一型、井上四郎の佐藤栄治型等を頒布した。頒布こけしの胴底には丸に夢の朱印を押した。また頒布とともに〈夢名会だより〉を発行した。第一号より第六号まで出ている。代表者は鹿間時夫。ほぼ半年間頒布、その後自然休会となった。昭和44年に自然休会となったのは、この時期から同人の殆どが〈こけし辞典〉の執筆に専念することになったためである。

この会はただ頒布するだけではなく、毎月のように会員が集まって頒布品を分けあい、また歓談した。面白かった催しは、会員が一番好きな工人をそれぞれ十人づつ選んで出し合うと云う企画だった。各人の十傑について、記録した筈なのだがそれが行方不明で見つからない。中屋惣舜、久松保夫、小山信雄、矢内謙次、北村勝史などそれぞれが1から10までを選んだのであるから興味深い結果だった。結果はほとんど忘れたが、今も記憶に残っているのは唯一鹿間時夫が選んだ一番である。

鹿間時夫の一番は何か? それを語る前に、私が予想していた鹿間さんの一番について語ろう。
鹿間さんが多くの本で、熱を込めて語っていたのは土湯である。「こけしは鳴子に始まって、土湯に終わる」と言っていた。だれにでもわかりやすく、気に入られるこけしは鳴子、こけしを見つくした目足れのものは土湯」と言う意味だ。「目足れ」は「手足れ(てだれ)」から来た「目利き」の意。そういう鹿間さんだから、一番は土湯、それなら自分で鹿間治助と言った天理教時代の治助に違いない。鹿間さんは治助には特別な思い入れがある。「こけし・人・風土」の「治助と作蔵」では治助を襲った度重なる悲劇に対する哀歌を切々としてうたった。
そうでなければ、ただ一本戦地にまでリックサックに入れて持って行った飯坂の佐藤栄治、さもなければ大名物の文六かもしれない。少なくとも、この三本の中の一本ではないかと思っていた。


鹿間三名物
治助   栄治   文六

ところが、鹿間さんが選んだ一番は全く違っていた。実は菅原庄七だったのである。「え~っ、本当ですか?」と私が言うと、鹿間さんは照れながら「いや~、醜男は美人を好むといいましてね、庄七は一番美人ですから。」という返事を返した。確かに、鹿間さんはその著「こけし鑑賞」の甘美群では菅原庄七のみを原色版で取り上げている。同じ甘美群の飯坂の栄治はモノクロである。渋い群の阿部治助も、強烈群の文六もモノクロだった。

ところで、鹿間さんが亡くなってから二年ほどたった昭和55年の「こけし手帖・237号」に、どういうわけか西田峯吉さんが「鹿間コレクションの庄七こけし」という題で巻頭記事を書いている。この中で西田さんは次のように言う。「彼は、この庄七こけしには、よほど傾倒していたようで、読んでいて熱気のようなものを感じる。特に『こけし鑑賞』に書いた文字(一部『こけしの美』と重複)は彼としては珍らしいほど美辞麗句にみちているが、周助や文六の場合のような誇張と強引なところがなくて好感がもてる。」 西田さんの目には周助や、文六、おそらく治助もそうだと思うが、そういうこけしを語る鹿間さんは異様に肩に力が入っているように見えて、けれんみを感じたのだろう。庄七を語る文章は比較的自然体で書かれていて好感が持てるというのである。
こうしたことから、推察するに鹿間さんが庄七一番と思っていたのは全く本心からだったのであろう。

確かに、天理教時代の治助は凄い、神仏にすがらざるを得ないような状況で目をむいている。やってくる不幸を団十郎のにらみのようなもので退散させようと云う気概がある。こうした舞台の上で見得をはっているようなこけしは見事であるが、そばに置いて日々眺めるのには疲れるものかもしれない。文六について鹿間さんは、「堂々たる大ぶりの木地は圧倒的である。その上濃厚なねっとりするような描彩の情味。月餅というか八宝菜というか、油のぎらぎら浮いたポルシチというか、スパイスの香りがぷうんとする。」とかいている、八宝菜にしてもポルシチにしても毎日食べるものではないのかもしれない。西田さんは鹿間さんの性向と嗜好を実はよく知っていたのである。
その点で最後に写真で紹介する鹿間さんの菅原庄七には、舞台で見得を切っているような切迫感も、特別な日の外食のような過剰な濃厚さもない。西田氏の言う鹿間氏の美辞麗句とは、「庄七は大頭で頭一杯描かれる赤いてがらが満艦飾の如く放射し,青ろくろと達筆な菊花が照り返って芳醇な情趣を出し,切れ長の瞼涼しく,ほんのりと淡い頬紅と長目の両鬢とまって艶麗比いのない絶世の美女を創り上げた。」という表現である。
それなら、もし中井久夫が、鹿間さんの4本を彼の患者に見せたとしたら、どのような反応が帰って来るであろうか。わたしは恐らく、庄七、栄治、文六、治助の順ではないかと思う。とりわけ、徴候とよばれる微細な刺激に敏感な人達は、穏やかで過剰な刺激のない、安定した庄七のこけしをそばに置きたいと思うだろう。

ただ、これはこけしの美の序列とは関係がない。こちらに十分な体力・気力があって、正面から対峙出来る時には、相手が発する強い刺激を見事と感じることもできるだろう。

そうであっても、どんなに疲れている時にでも、そばにあってこちらの如何なる感情をも受け止めてくれる、そして静かに対話のできるこけしが一本あれば幸せである。鹿間時夫は、その一本を持っていた。

(Mar. 2, 2014 )

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