宝瓢壷


徐州の嘉生は二十歳を過ぎてもまだ独り身だった。両親はかなり前に相次いで世を去ったが、多少の家屋と小金を残していったので、嘉生は好きなことをしてのんびり暮らしていた。書を読むことは大層好んだが、郷試を受けて仕官しようなどと言う気持ちはまるで無かった。友人を多く作るというよりはむしろ一人で飄々と暮らしているほうを好んだ。
ある夏の夕刻、庭の小亭に小杯を傾けて好きな酒を飲みながら、昨夜思い浮かんだ小句の対聯を推敲していると、見たこともない小娘が小亭の脇を通り過ぎようとしている。何故こんなところに見ず知らずの小娘が来るのかとぽかんと眺めていると、小娘は嘉生の方を振り向いて、恥ずかしそうに微笑む。その幼い姿はなんとも愛らしく、細い腰つきも好ましく感じられたので、知らず立ち上がってその小娘の手を取っていた。
小娘は嫌がりもせず、誘われるままに嘉生と並んですわり、ただ他愛の無い話を打ち解けてするのだった。嘉生は始めて会ったばかりの小女とも思われず、やがて自然の成り行きで寝処をともにしたが、雲の上を歩むような心地良さで心満ち足りた思いがした。
小娘は名前を孫梅香となのったが、どこの孫かもはっきりしないし、どこから来たかはきちんと説明さえ出来なかった。嘉生はもともと大雑把な性格だったから、梅香の素性などにとんと頓着無く、二人の夢のような暮らしを楽しんだ。ただ梅香が来てから、不思議に小金が貯まっていって、数年のうちに使用人を何人か置いて、蔵も三つほど建つようになった。
ある日、嘉生は酒を少々飲みすぎて饒舌になったとき、そばで微笑んでいる梅香に向かって言った。「おまえと一緒に寝処をともにするのはこの上ない幸せだ。だけど一番気持ちの良い時、変な音を出すのはちょっと興ざめだね。」梅香の秘所は感極まるときぶあぶはは〜っという鞴のような音を出すのであった。
梅香はこの言葉を聞くと、今まで見たこともないように顔を真っ赤に染めて下を向いたまま立ち尽くし、しばらくすると無言のまま部屋から出て行ってしまった。嘉生はそのまま寝入ったが、朝起きてみるとどこを探しても梅香の姿は見えない。思い当たるところをいくら探しても梅香の行方を知ることは出来なかった。嘉生は、あの言葉がそんなに梅香を傷つけたのだろうか、かわいそうなことをしたと大層心を痛めたが、もう後の祭りで、梅香は二度と戻っては来なかった。嘉生はなんともやりきれない空漠とした気分で、好きな書物を手にする気力も無く日を送っていたが、やがて不思議に金も薄皮をはがすように無くなって、使用人を置くこともままならなくなった。
ある日悄然と近くの市を歩いていると、昔ともに詩を吟じあった友人の李に出会った。李は嘉生の落ちぶれた様子を心配して、道の脇の酒家に嘉生を誘って、酒を勧めながら嘉生の見る影もない身の上を尋ねるのだった。嘉生は酔いが回るにつれて梅香のこと、そしていなくなったいきさつを李に話した。友人の李が言うには「ああそれは惜しいことをした。梅香のような女の秘所を宝瓢壷というのだよ。鉄の草鞋で探しても見つけることは難しい、世にも珍しいものさ。限りなく幸せを生み出してくれる、まさに宝物だったのだよ。」
それではあの音とともに梅香は身体の中から幸せを吐き出してくれていたのかと嘉生は思った。
嘉生はやがて貧困のうちに歳を取って、貧しい家々の寄せ集まった、しかも豚小屋の脇に寝起きするようになった。この豚小屋の隣は嘉生にとってなんとなく気の休まる場所でもあった。隣の小柄な土豚たちは繁殖期を迎えると盛んに交尾をするようになったが、交尾のたびにぶあぶはは〜っという音を出した。嘉生ははっとしてあの梅香はもしかしたら土豚の化身だったかもしれないと思った。やがて、土豚の小屋の隣で嘉生はこの世を去った。

 

木人子曰く、梅香は土豚であったかもしれない、それゆえ嘉生の身と自分の身の違いに気後れしていたから「興ざめだね」という言葉に身の置き所の無い思いをしたのであろう。言葉は口を発した後、それを再び元に戻すことは出来ない。その言葉で、自分の意にかかわらず人を傷つけることもあり、自分に与えられた福をも失うこともある。



目次