林果


楊州府甘泉の杜章はたびたびの題試に落ちて意気消沈していた。杜章の父杜興は名望高い県令だったが早くして亡くなり、母もその後間もなく亡くなったので、一族は、杜章が早く題試に合格して、再びこの家名を挙げる事を強く期待していたのだった。杜章はといえば世に出ることよりは古文典籍のうちを逍遥して、気のあう古人と心通わす方を好んだ。題試に落ちた後は、一族からの期待も鬱陶しく、友人の李宝が鎭江にいるので、そこに遊びに行って憂さを晴らしていた。
李宝は落ち込んでいる杜章を見かねて、長江に面した鎭江の花街にある馴染みの望南楼へとさそって一夕の気晴らしを勧めた。杜章は始め気の進まぬ風だったが、やがて酒も入ると、美妓音曲にもさそわれて次第に気持ちがほぐれてくるのだった。とくに杜章の相方となった林果という少女は、まだあどけなさが残っていて初々しく、杜章もやがて打ち解けて話を交わすようになった。
その日は宵を過ぎて、李宝とともに帰ってきたが、その翌朝から林果のことが気になって落ち着かず、紅灯が燈るのを待ちかねるように望南楼へと訪ねていった。林果は数日前に望南楼に上がったばかりで、客もついておらず、すぐに呼ぶことが出来て、懇ろに話をするうちに、ともに歓を尽くす間柄となり、回を重ねるうちに林果の悲しい身の上も知るようになった。
林果の父は鎭江の鳶職で、腕と度胸のある良い職人を多く抱えて、今活気のある鎭江で普請をするときには足場組みに必ず声のかかるという名のある親方だった。ところがこの年の五月、仕事場で足場から落ちてあっけなく三十九歳という働き盛りで死んでしまった。林果の母親は悲嘆のあまり気落ちして、寝込んでしまい、十三歳の弟はぐれて悪い仲間と昼間から連れ立って巷間をねり歩く名うての鼻つまみとなってしまった。叔母達は、全てはお前の働きにかかっていると盛んに林果に言い募ったので、林果もやむなく五年の年季で望南楼へ出ているのだった。
自分の不幸と身体の具合を際限なく嘆く母や、いつも問題を起こす弟に、林果は小さな胸を痛め続けて、優しい父がどうして早く死んでしまったかを悲しむ毎日だった。そして、ただ幼い日に父に連れられて行った父の故郷丹徒のこと、その熱い思い出を一語一語かみしめるように話すのだった。父親の母に当たるのだろうか、やさしい老媼から簪をもらった記憶は、日溜りのように暖かく林果の記憶に残っていた。この簪に願いをかければ何でもかないそうな気がするという。いま林果が必死で願いをかけていることを、どうかかなえてほしいと杜章も思わずにはいられなかった。
杜章は、自分の手の中でこわれそうな林果を見つめながら、自分が林果を助けてやれない不甲斐なさを思い知って、情けなくやるせない気持ちで一杯になった。歓を尽くした後にも、父の話をすれば、微かに涙をこらえて唇をかむそのしぐさや、きっと私にもいつかいい事が来るとけなげに笑顔を作って自分を励ます姿を見るにつけても、杜章が長く親しんだ古文典籍のなかの古人には全く力が無く、杜章自身にも世俗的な力が無いことが恨めしかった。
そうこうするうちに、ある日望南楼にいくと、やり手婆がもう林果とは会えないという。店の仕組みが変わったのだという。なんと言う無茶な話かと問い詰めると鎭江府の政令で妓楼の改変があり、多くの娼妓が新しい場所に移されたのだが、どこの店に移されたか、また何という源氏店で出ているかはわからないというのだ。望南楼からはそれ以上の手蔓をどうしても引き出すことが出来ないので、鳶の仲間を探して尋ねてみても、死んだ親方の一家はもう元の家を引き払っていて、今どこにいるかは分からないという。ただ、林果というのは店にでる時の名で、渚栄というのが実の名であるらしいということが分かった。
杜章は、もうそれ以上追求の手立てとて無いことに落胆し、また林果に自分の素性を詳しく話しておかなかったことを悔やんだ。林果から便りをよこすことも出来ないのだ。杜章は、林果を思い出す鎭紅で、二人で望南楼から眺めた長江の流れを一人で見るのもこころ切ないので、楊州府甘泉へ戻ることにした。甘泉へ戻っても、もう古文典籍に遊ぶことの熱も消えて、心の空漠を埋めるためにもただひたすら題試の勉強を続けたので、翌年にはほぼ首席で合格することが出来た。一族はじめ近在からの祝いの言葉もただ無意味に感じられ、官に就いてからも、もくもくと仕事を続けたので数年で亡父が務めた県令の職を踏襲することとなった。
ある年、杜章は県令巡視のため鎭江を経て丹徒の近くを通ることとなった。ふと林果のことを思い出して、林果の父の故郷という丹徒に立ち寄ってみようと思い立った。丹徒は鎭江の東にあってただ小さな寂れた町だった。どこが林果の胸に熱い記憶として残った場所なのだろうかとしばらくその町を廻ってみたが、何処とて際立った場所も見当たらない。長江からの運河に、家禽を乗せた小船が行き来するばかりだった。少し疲れを覚えた頃、運河に沿って赤い旗を立てたこぎれいな酒家があるのを見つけ、そこで一休みすることにした。酒家の軒には渚栄亭と書かれた扁額がある。渚栄といえば林果の実の名ではないか、杜章は酒を運んできた初老の親父に、鎭江の町の鳶の親方について何か知らないかと尋ねてみた。酒の味は上等だが、この少しぼんやりしたところのある親父の話は、まるで迷路のように要領を得なかった。結局、この親父は林果の父とは遠い類縁のようで、この丹徒の旧家の周翁というのが長老らしく、詳しい話は周翁に聞くしかなさそうだということが分かった。周翁の家は運河沿いの土塀に囲まれた一角にあるらしい。訪ねてみると、丹徒の町の中では際立って品のいい瀟洒な旧家で、県令の突然の来訪に驚きながらも、要を得た落ち着いた対応をしてくれた。屋敷の奥からは子供の声も聞こえて、明るい平穏な生活の様子が偲ばれた。
周翁はかなりの歳と見受けられるが、未だ矍鑠としており、話も理路整然としている。周の家は、使用人を何人も抱える商人であり、主に丹砂などの顔料を商っていた。今は長男の清栄が業を継いでいる。次男の弥栄は気が荒く、また遊び好きで丹徒の妓楼に入り浸っていた。やがてそこの女と駆け落ちして鎭江に落ち着き、しばらくして鳶の仕事に就いた。次第に腕を買われて、親分となって、鎭江鳶の弥栄として知られるようになり、その頃には時々は愛娘の渚栄を連れて丹徒の周家にも顔を出すようになった。渚栄という名前は、まだ周家の敷居が高くて丹徒に戻れない頃に生まれた娘に、故郷の家に面した運河をしのんで、腕白の友達と入りびたったあの渚栄亭から取ったものらしい。
杜章は、いよいよその娘渚栄の消息を恐る恐る尋ねてみた。周翁には県令が何を調べたいのだろうという懸念があったかもしれない。やがて気の遠くなるようにゆっくりした語り口で話を進める。あの娘は可愛そうなことに、父弥栄が死んだ後、母やその姉妹たちに強要されて鎭江の妓楼に出されてしまった。周翁が息子の弥栄の死を知らされたのは、もう秋口になってからで、渚栄が妓楼に出て数ヶ月経った頃だった。周翁は長男の清栄を鎭江へやって弥栄の家族の消息を探ったが、弥栄の妻は病気で亡くなっており、渚栄の弟は博徒との争いで大怪我をして、これもやがて死んでしまった。渚栄は最初の妓楼を変わらせられた後だったが、妓楼仲間に金を握らせてやっと消息をつかみ、移ったあとの妓楼から受け出してきた。今はこの屋敷に住んでいると言う。この屋敷にいるということはまだ他家へ嫁いでいないということだろう。
杜章は、はやる気持ちを抑えつつ、自分は望南楼に渚栄が林果という名で出ていた頃、親しくしたものだ。いつも会いたい気持ちで一杯だった。このたび県令巡視のためこの近くを通ることになったので、渚栄の祖父母がいるという丹徒に寄ってみることにした。運がよければ渚栄の消息がつかめるかも知れないと思ったからだ。一度お目にかかるわけにはいかないかと周翁に頼んでみた。
周翁は真顔のまま、しばらくお待ちをと言って、奥へ引っ込んでいった。やがて、周翁は一人の老媼と渚栄と八歳くらいの愛らしい少女とをつれて杜章の待つ部屋へ現れた。ああ、あの林果が、杜章は言葉も出ずにただその顔を眺めていた。林果はかすかに微笑んだがそのしぐさはかつて鎭江で、何ものにも変えがたいと思ったあのしぐさと一つも変わっていなかった。
少女は渚栄が丹徒に戻ってから生まれた杜章の娘で、渚栄が嫁がなかったのもこの娘がいたからだろう。
杜章はあらためて周家と縁組をして、渚栄と娘を楊州府甘泉へ引き取った。幸せな生活の中で、渚栄がいつも大切にしている簪を見て、これはあの周家の老媼から小さい頃に渚栄がもらったものだったと気がついた。杜章は渚栄が望南楼で、この簪に願いをかけていたことを思い出し、願いどおりに苦しい生活から抜け出せて本当に良かったねと言った。渚栄は恥ずかしそうに笑って、私はあの苦しい生活から抜け出したいと願いをかけたわけではないの、あなたと何時までも一緒にいたいと願いをかけたのよと言った。

木人子曰く、簪は髪に挿すものゆえ、天に近く、天の意思を伝えるものといわれる。その簪に、軽々しく願いをかけるものではないが、いったんかけた願いというものは胸にしまってそれを持ち続けるならば必ずかなうものだ。



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