「愛蔵こけし図譜」土湯 阿部治助


Jisuke

阿部治助(明治十八年〜昭和二十七年)

補遺 土湯 阿部治助

Atsuko

武井武雄は「こけし通信」に、このこけしについての次のような石井眞之助による紹介文を引用している。

「図譜所載の大きい方(一尺二分)は、福島県伊達郡のある旧家の娘さんの玩具箱から直接西尾のこけし草堂へ貰われて来たもの、後頭部に敦子と署名してあります。当時敦子さんは一五歳、別れを惜しんで泣いたでせう。現在では立派な花嫁御寮になって、こけしを斜めにオンブする年配の女の子が一人位ある筈です。」 

こけし草堂というのは石井真之助の居室名(堂号)です。

いまでも「敦子」の墨書の跡が残っています。

この治助と武井武雄さんとの経緯について、三十年ほど前に石井さんからこんな手紙を戴きました。
「愛蔵こけし図譜の最後に拙蔵治助が二本載っています。武井さん、この治助が凄く好きで小生にも治助を描いてくれました。只今居間に表装してひっかけています。武井さん独特のアゴヒゲが黒々と凄みをみせ、背後と地面にはベッタリと黒い影があります。」
図譜掲載のお礼に手描きの治助の絵を武井さんから贈られたものだと思います。石井さんは、その絵の、日本画とはまるで違う版画調の影のつけ方に大分戸惑っていたようですが、居間に飾っていたのですから十分気に入っていたと思われます。


印           ボタン治助

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