石井眞之助は遠刈田新地のこけしを商店主北岡仙吉より注文入手しているうちに直助(明治六年〜昭和十二年)にたどり着いたが、そのいきさつを武井武雄は「こけし通信」で石井氏の手紙を直接引用して次のように紹介している。
「段々と作者を追って調べて行きました處、遂に元老株に直助のあることを突き止めましたので早速手紙を出しますと、数日ならずして文字も文章も實に見事な次のやうな書面の返事が来ました。
拝啓 如貴命残暑酷敷候處御尊家益々御隆盛之段大慶不斜奉恭賀候扨て今回遥々こけし御照会に接し有難念入候 老生常に鉋を手にせず候も御希望とあらば製作御用命に応ずべく候。
上品な直助のこけしが何本も到着したのは昭和六年か七年の事でした。木目模様のは四十年前の形式ださうです。大一尺、小七寸五分。」
写真は石井旧蔵品。
木形子洞橘文策が直助こけしの頒布を行って、世に直助が知られたのは翌七年のことであった。