こけしの魅力は「こけしそのもの、こけし作った工人、そしてその産地」の三つが融合したものだと言われる。幸い作られたこけしは愛蔵家の手によって大切に保存されている。
しかし、優れたこけしを作った多くの工人たちは既に亡くなってしまった。また、産地は昭和四十年代の高度成長に伴う近代化の中で、殆どその姿を変えてしまっている。
昭和三十年代後半には、茅葺の家、土間、囲炉裏、板敷きに蓆を引いた居間といった工人の家が、昭和四十年代中頃になると畳敷きになり、金や銀の細い紙が練り込まれた塗り壁、巨大なテレビやウィスキーを納めたサイドボードなどを備えた居間に変わっていた。
特に、昭和四十年代は戦後のこけしブームであり、いくら作っても注文に間に合わないという状況で、工人の方々の経済力も大きく向上した時代であった。
産地の温泉宿も、床の間の床板は縁が反り上がり、裸電球が一つ灯り、大きな火鉢に湯が沸かされ、やや湿った重い掛け布団一枚をかけて寝ると言った状況であったが、同じ時期に、ほぼ今日のような旅館の姿に変わって行った。
特に湯治宿の、それぞれの部屋の前に七輪を並べて自炊する光景、日用雑貨や食材を売る湯治宿の中の暗い売店、ほぼ半裸で両肩にタオルをかけて佇む湯治客、親しくなった人達が一室に集まって談笑、放歌する姿など、もう見ることは難しくなっている。
産地風影では、こけしが生まれた頃のそうした産地の雰囲気と工人の姿を紹介しようと試みて、時には昔の絵葉書などもその一助に使ってみたが、必ずしも多くの産地を網羅できてはいない。
ところが此の度、岡戸正憲さんが「こけしの郷のむかし」という本を出版された。
岡戸さんが蒐集したこけし産地の多くの絵葉書が掲載されており、そして愛蔵する古こけしと東北の古布をその間に配してある。
掲載された絵葉書は百枚以上、殆どが明治末から大正初期のこけし産地の雰囲気を伝えるものである。写真撮影が珍しかったためか多くの湯治客が旅館の縁側や二階の手すりの前に並んでいたり、着物姿の子供たちが集まってきているものなどもあって見ていて実に楽しい。この絵葉書を眺めていると昭和三十年代にはまだ残っていた湯治場の匂いのようなものまでふっと思い出すこともある。
産地産地と多くの言葉を使って説明されるよりも、この本の絵葉書を一つ一つ見ていった方がはるかに産地の何たるかを納得できるのではないかと思う。
展示・こけしの郷のむかし
平成二十三年六月二十八日より、八月二十八日まで仙台の「カメイ記念展示館」で岡戸正憲さんの企画による「絵葉書で知る・こけしの郷のむかし」展が開催されているので、先日見に行ってきた。
会場の中央にいくつかのガラスケースが置かれ、その中に古布と古こけしが置かれている。おけし園旧蔵の佐藤栄治が木地車とともに古布の上にある。このこけしの存在感は別格である。別のケースには黒こけしの一群、また別のケースには古鳴子とねまりこがある。ねまりこの顔は実に古風でいい。
そして周囲の展示スペースには、主に絵葉書が展示してある。
古こけし、古布、絵葉書と全く異なるものでありながら、その三つが違和感なく一つのハーモニーを奏でているのは、その時代の香りがともに共通だからであろう。これは実物の展示を見て感得できることである。
こういう共通する時代の香りをいとおしみつつ、それと調和するこけしのみを集めていくというのは、こけしが何たるかを知りつくした人にしか出来ない。
見る人の眼力が試されるような展示でもある。