こけしの文化史 (3)


こけし蒐集の物語


自分の興味がありそうな本を買って来て読み継いでいると、とても不思議な体験をすることがある。今日はその話から始めよう。

この「子どものための文化史」はベンヤミンが、一つのテーマごとにかなり高度な内容を小学校高学年の子どもにでも興味を持って聞いてもらえるように書いた本だ。

ベンヤミンは決して子供向きに程度を下げてはいない。大人が読んでも読みごたえのある内容を、子どもにでもわかるように平易に書く、その才能には、本当に感歎した。
私もこういうものを書こうと思って始めたのが、この「こけしの文化史」シリーズであった。しかし、私の文章はいつも理屈っぽくなって、難しくなってしまう。思うようにはいかない。

この本の表紙にはクレーの絵が使われている。絵のタイトルは「新しい天使」。でもこの本を読んでいる時には、そんなことにはまるで気をとめていなかった。

夏になると幾つかの百貨店で古本市が開催される。
そこで買った一冊は、イングリッド・リーグルの「クレーの天使」、クレーは1939年、59歳のころに多くの天使の絵を描いた。水彩や油彩もあるが大部分は線描のみのもの。リーグルはユング派の分析家で、この一連の絵の流れの中から、戦時下のクレーの天使と向き合う心の変遷を探っている。この中の一枚にも、あの絵が「若い天使(アンゲルス・ノヴス)」として取り上げられている。
別の百貨店の古本市で、たまたま買ったのはハワード・ケイギルの「ベンヤミン」(ちくま学芸文庫)、Beginners用の本で全ページがイラストによる解説になっている。この本をパラパラめくっていると54ページにまたあのクレーの絵が出てきた。53ページの解説には「ベンヤミンの蒐集癖の好例は、パウル・クレー(1879-1940)の水彩画「新しい天使(アンゲルス・ノーヴス)」である。これを彼は1921年の春、ミュンヘンで購入した。」とある。
なんで今年の夏は、このクレーの「新しい天使」ばかりに遭遇するのだろうか。

最後はこの一冊「知の百家言」(中村雄二郎)、これは古本屋ではなく、新本として会社の昼休みに覗いた書店で買った。
この中にクレーの言葉が出て来る。
「その音に誘われていくと、小さな守護神が現れ、可愛らしい手をさしのべ、私を天界にそっと連れて行った。」
中村雄二郎は次のように解説を付している。
「(クレーに関心を持ったきっかけの一つは、)彼の晩年にマンガチックとも言える<天使>のシリーズが四十枚近くあり、それが現代人にとって並々ならぬ意味を持つことに、現代のすぐれた思想家たちが注目していることである。ある論者の言葉を借りれば、この場合、天使とは『傷つきやすさと極端な脆さを持ちながら、われわれ人間を保護する神的存在』のことを指している」

不思議な体験と言うのは、ほぼ同時期に意識せずに買った四冊の本が、クレーの天使で繋がってしまったことだ。このように自分に関わっていたもの達の間に偶然のリンクを見つけるということは往々にしてあることだ。
あとで触れるが、このリンクというのは蒐集において一つの重要な要素になる。

さてここからが本題だ。「蒐集」について話そう。

「蒐集」とは何か、「コレクション」という大著を著わしたクシシトフ・ポミアンは「コレクションとは、一時的もしくは永久に経済活動の流通回路の外に保たれ、その目的のために整備された閉ざされた空間で特別な保護を受け、視線にさらされる自然物もしくは人工物である。」と定義している。
この定義から「売るために店に集められた品物の集合は、経済活動内にあるからコレクションではない」、また「陶器の中に入れて地中に埋められた財宝や、銀行の保護箱・貸金庫に保存された古美術の集合などは、視線にさらされないからコレクションではない」。

ベンヤミンは確かにものをこまめに集めた。その著作を読んでも、都市や街並みを歩きながらそのディテイルに関心を持って、それを記憶や資料として集めていることが良く分かる。しかも彼は幼年時代から本の蒐集家だった。「今私のまわりにうず高く積み上げられた数千冊の本のうち、四、五冊はあの子ども部屋からずっと私につき従ってきたものです(荷解き)」、また本の競売市場で、競争者を出し抜いた体験、出し抜かれた体験にも触れている。しかし、「ベンヤミンの場合は集められ保管された本の集積は、彼の過去の記憶と深く結びついていた。子どもの頃の本を取り出しては、子どもの時代を思い出す、自分の存在への不安が訪れると、心理治療・回想治療の一形式、断片化された自分の過去の再統合を行う手段として、蔵書の「荷解き」をしていたのだ」という人もいる。つまり、その人は、ベンヤミンがやっていたことは正確には蒐集と言うより、自分の過去との繋がりを保障する記念品の堆積だといっている。

ここで「蒐集品と記念品とは何が違うか」というあたらしい議論が顔を出していることに気づく。
「記念品はそれ自体では積極的な利用価値や必要性を持たない、ただ懐かしい過去への欲求を満たすため、薄れていく過去の経験が本物であったことを確証するための役割のもの(スーザン・スチュワート)」であり、「蒐集品(コレクション)というのは、集められたものの中にシリーズ性があって、多様なものから全体性を再構築しようという意思があり、恣意的な体系によって秩序が生みだされるもの(ディーン・マッカネル)」だという。

さて、冒頭の
4冊の本、もし私が2012年の夏の思い出として持っていたら記念品であり、「クレーの天使」に関わる本として持っていたら小さい「コレクション(蒐集品)」になる。コレクションには「クレーの天使」というシリーズ性、共通のリンクが必要なのだ。

こけしで言うなら、「訪れた産地、出会った工人の良い思い出をいつまでも新鮮なものにしておくために買われたこけしの集まり」は記念品、「全系統を集めよう、ガイドブックに出ている工人は全部集めよう、あるいは自分の目に適った工人の、しかもピークと言われる時代の作品を集めようとして集まったこけし」は蒐集品(コレクション)と言うことになる。すなわち、集まったもの一つ一つの間に一定の秩序あるいはリンク、すなわちシリーズ性がないと蒐集品とは言えないのだ。
これに従えば、こけしを記念品として集める人も、蒐集品として集める人も「こけし愛好家」と呼びうるが、「こけし蒐集家」はこけしを蒐集品として集める人で、記念品としていくらたくさんこけしを集めていても「こけし蒐集家」ではないということになる。
ただし、記念品として集め始めた愛好家から、やがて自分なりのシリーズ性を持って、すなわち集まったこけしに自分なりの秩序を構成するリンクを張って、蒐集家へと転向していく人も多いだろう。
東京こけし友の会が、「こけし蒐集家の集まり」ではなく、「こけし愛好家の集まり」を標榜しているのは受け入れる会員の対象を広く考慮したためであり、会の定義としては妥当であろう。

こうした見方から、過去のこけしの本、文献を眺めて見ると、それは愛好家を増やしていくためと言うよりは、蒐集家をふやしていくための知識や情報にかなりの力点を置いているように見える。工人の経歴(工人同士の交友関係、血縁関係、師弟関係)、系統分類、年代変化、産地や系統ごとの工人群、こけしの特徴、こういった知識や情報は全て、集まったこけしにシリーズ性、すなわち秩序のリンクを与えるものであり、新たな蒐集家を誘引するものだからだ。
集める人が、こうした本や文献によって、自分の蒐集する対象、その全体像をイメージすれば、自分のコレクションの中でその全体像に対して欠落しているもの(つまりまだ持っていないもの)に対して強い飢餓感を覚えて、集めようという意欲を増進させるだろう。
たとえば「こけし這子の話」や「日本郷土玩具・東の部」が出版された時点では、この本に載っているこけしは全部集めてやろうという蒐集家がたくさん生まれた。その時点で入手困難だったり既に工人が物故していた場合は、それに対する飢餓感は相当なものだったに違いない。
このような蒐集の強い動機付けになる飢餓感は、蒐集家のみ持ちうるもので、記念品として集める愛好家には生じない。
こけし蒐集家の変遷については、すでに書いたことがある(こけし蒐集家という人々)。
初期のこけし蒐集家の場合は、概ね「全工人を集めよう」というシリーズ性による蒐集が多い。鹿間時夫はこれを「ジェネラル収集」とよぶ。 それに対して何らかの独自の基準によるシリーズ性を持って蒐集をおこなう場合がある。例えば、土湯の優れた作品を中心にする、肘折の優れた作品を中心にする、正末昭初の優品に限る、あるいは「きれいさび」をベースにする、自分独自の美の基準で集めるといった蒐集である。これを「トピカル収集」とよんだ。「ジェネラル収集」からスタートし、やがて「トピカル収集」に移るのが一般的と鹿間氏は言う。「ジェネラル収集」の成果を「トピカル収集」に再構成して陳列することが可能だからである。
そういう意味で言うなら、本来優れたコレクションとして感銘を受けるのは、工人・産地を全部網羅した百科全書型の陳列よりは、コレクションを見ていると蒐集家の素顔が見えて来るような特定の秩序による陳列かもしれない。そうした陳列では、蒐集家の持つシリーズ性、あるいは全体性の秩序・体系が鮮明であるからだ。そして、「トピカル収集」として陳列する全体性の秩序自体がその蒐集家の独創だからである。

一方、昭和十五年頃に集め始めた蒐集家、また戦後の蒐集家は、最初から全工人の蒐集は困難であるから、「トピカル収集」でスタートする場合もある。
極端なものとしては津軽系の特定工人のみを数百本集めるようなケースである。
「蒐集について」(こけし・人・風土)や「こけし辞典」の項目「収集」を書いた鹿間時夫はやはり蒐集ということ自体にこだわりがあった。
彼の専門である分類学は本来全体性の体系を作る学問だ。それゆえ多種多様な体系作りをこけしに於いても試みた。
厳密な系統分類、工人系譜、さらに美の体系である「表情四面体」「表情成分系」等々、その体系の下に、こけしを置きながらあるカテゴリーのこけしが欠落しているとそれを夢中で集めた。「こけし辞典」掲載写真を見ていくと彼が極めてマイナーな工人のものまで丹念に集めていた事が良く分かる。時には蒐集家加筆による珍品をつかまされていたこともあった。鹿間氏が被害にあった加筆のこけし群は「こけし辞典」の「収集」という項目の最後に並んでいる。良くだまされたものだと思うけれど珍品というカテゴリーに対する飢餓感があるとつい手が出るものなのだろう。
鹿間時夫はこけしの蒐集家であると同時に貝の蒐集家としても有数であった。「原色図鑑 世界の貝(正・続)」(北隆館)などかなりの著作がある。アデヤカヘリトリガイなど数多くの和名の命名者でもある。その鹿間氏は貝の蒐集とこけしの蒐集についてこんなことを語っていた。
「きみねぇ、貝の蒐集ってーのは凄いですよ、怖いくらいですねぇ。それに比べりゃ、こけしの蒐集なんて可愛いもんですよ。例えばねぇ、京都に有名な貝のコレクターがいたんですがね、晩年一人暮らしで生活にちょっと困ったんですよ、そうしたらお金持ちの貝の蒐集家がね、彼の名字が和名についたものもあるくらいの人なんですがね、丁度私の家の離れが空いているから移っていらしたらどうですかといってコレクションごと離れに移して面倒を見たんですよ、もちろんゆくゆくはそのコレクションを譲ってもらうことにしてですがね。
ところがお金持ちの蒐集家は、それから朝早く起きて離れを覗くのが日課になったんですって、まだ死んでいないかと毎朝覗いて確かめていたんですね。きみぃ、怖いでしょ。えげつないですねぇ。こけしにはそんな話はないですよ。」
おそらくその老コレクターは、お金持ちのコレクターが持っていない貝をいくつか持っていたのだろう。自分のコレクションに欠落しているものに対する飢餓感は異常に強くなりえるのである。

その鹿間時夫は「こけし・人・風土」で悟ったようにこう書いた。「世の中には、ごくまれではあるが、強欲な蒐集家がいるものである。何事でもそうだが、特にこけしとか郷土玩具のようなもので玩物喪志になるほどつまらぬものはない。人の道をやぶってまで蒐集するくらいならやめたほうがよい。だいたいが、おたがいに楽しみ心を温めあうための蒐集であって、苦しむためのものではないのである。」「こけしの良さが味得され、名品を手に入れたときの感激から一応解脱したら、蒐集という因業な業から解放され、誰が所有していても、とにかく、よろこんでその所有者とともにその名品を鑑賞する法悦にひたりうる。」
おそらくこれは鹿間時夫が、理想として自分に言い聞かせた言葉だったろう。ただその後の彼のこけしとのかかわり方を見ると、最後まで蒐集という煩悩に身を焦がしていたように思う。人よりすぐれたものを自分が手に入れれば無邪気に喜び、人が自分にない逸品を手にした時は地団太踏んで悔しがった。そしてそれが、人の魅力でもある。

中屋惣舜旧蔵の渡辺作蔵
(中屋惣舜コレクション展図譜)
佐久間貞義-鳥居敬一経由で中屋氏の手に渡ったが、
このこけしが自分の手に入らなかったことを
鹿間氏は最後まで悔しがっていた。
このこけし移動のいきさつからは
どうみても鹿間氏に渡る可能性は全くなかったのだが。

質問があれば mhashi@nifty.com までお寄せ下さい。
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