こけしと杖あるいは棒における象徴作用 

こけしQ&Aの中で、こけしに何故手足がないのかという質問に答えて、こけしは棒の形でなければならなかったという説明をしていますが、多くの方から分かり難いというメールを戴きました。ここに載せる一文は、昭和五二年六月二五日、独協大学の人類学の講座(講師・松田徹)において木人子室主が特別講義を行ったときの内容をまとめたもので、その後こけしの会機関誌「木の花・第一四号」に掲載されたものです。ここで、かなり詳しく説明していますので興味ある方は読んで下さい。

konohana-14こけしと杖あるいは棒との間に、象徴的な意味のつながりがあると言ったら、ちょつと不思議に思われるかもしれません。しかしそれでは、何故こけしに手足がないのか疑問に思ったことはありませんか。こけしを作る工人が、木製のおもちゃ=木地玩具を作る時、例えば大砲の兵隊、汽車の運転手などには立派に手を付けているのに、こけしには決して手足を付けようと致しません。

 それはこけしが、湯治に行った時のおみやげであり、人形であると同時に、棒にほかならないからなのですが、ここでは、このこけしのもつ棒としての象徴的意味について少し詳しく話をしようと思います。

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 まず本題に入る前に、こけしを買い求めた人達=農民を中心とする湯治客について若干ふれておくことにします。

 農民はいうまでもなく、田畑を耕やし作物を収穫する、すなわち農耕によつて生活しているわけですから、最大の関心事は五穀豊饒ということであり、そのためのいろいろな農耕儀礼が彼らの生活の軸となるわけです。例えば宗教学者のエリアーデは農耕労働自体が儀礼であることを指摘しています。「それはある意味で大地母の体の上で行なわれ、植物の聖なる力を解放するものであるから、またある意味で農民の、ある時は恩恵的、ある時は有害の統合された存在をふくむゆえに儀礼なのである。それはまた穀物の増殖を助け、農民の仕事を神聖にする意図をもつ様々の形態と起原の一連の祭を前提とするゆえに、そして最後に、それは農民のある意味で死者の支配下にある領域へと連れ行くものであるゆえに儀礼なのである。(堀一郎訳)」

 このように、農耕儀礼によつて構成されている農民の世界において、特に注目して欲しいのは次の二つのモチーフです。
 もちろんこの二つのモチーフは互いに関達し様々なかたちをとって表われます。

 農耕が季節的な循環をとる、例えば稲作であれば一年周期で播種−田植−成育−収穫という過程が繰り返されますが、その区切に年の交代、すなわち新年を迎えることになり、この時期に死と再生をモチーフとする儀礼が集中することになります。

 農民にとって、村のなかの秩序ある日常的世界に対し、村の外は混沌とした恐るべき闇の世界です。そして、村にとって幸をもたらすものも、まがまがしい災いをもたらすものもこの闇の世界からやって釆ます。従って、中心と周縁との対立、およぴその解消というモチーフが重要な意味をもち、二づの世界の境界および仲介者の役割りがクローズ・アップされることになるのです。古いー年が死んで新しい一年が生まれる時も、古いものは一度、境界を超えて離脱し、新しいものが再来するというかたちをとります。例えば田の神は冬になると山の神となって山へ帰り、翌年の春、再び村に帰って田の神となるのです。

この場合、山というのは村人にとって、畏るべき周縁である事はいうまでもありません。

 今日は、棒について話すことになっておりますので、正月の儀礼における棒についても簡単にふれておくことにしましょう。

 hotaki-bouこの棒(図・参照)は本来九〇センチ程のものですが、これは民芸品として若干小型化しています。秋田県横手市の祝儀棒で別名ほたき梓、あるいはぼんてんこといわれています。「諸国風俗問状答」(屋代弘賢が文化十年各藩に発した問合せに対する答)の「出羽国秋田領」には「道祖神祭の事。この事は十五日を用う。わらはべ打ち群れ、ほたき棒てんでに提て、ゆきかふ女あらば尻うたんと用意す。」

「柳を三尺ばかりにし、白くけづり、其さきをけづりかけのやうにけづりて赤く染む。自然男根の形にも似かよひたり。」とあります。

 説明するまでもないと思いますが、女の尻をほたき棒でたたくという所作は性行為の模疑動作であり、類感呪術として、多産=五穀豊穣を祈願しているわけです。そして、これが小正月の行事であり、また境界を支配する道祖神の祭であることに注目すべきでしょう。

 小正月に棒を用いる事は、広く日本全国に分布していた習俗で、柳田国男も「こども風土記」のなかで「東部日本ではヨメツツキ、または嫁たたき棒、九州の各地でハラメン棒、対馬でコッバラなどといったのも、すべてこの正月の祝い棒の名で・・・・いずれもこの木切れに女を孕ませる力があると思っていたからの命名である。」と言っています。「枕草子」にもこの習俗のことが書かれていますから、起原も新しいものではありません。

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 heruma-zu一方、棒と道祖神の結びつきも非常に普遍的で、ギリシャ神話のへルメスの原型となった道祖神ヘルマは、上部に人頭を持ち、中央付近に陽物をつけた石造の境界柱で、豊饒・多産を支配し、カドウケウスと呼ばれる杖をもっていました。

 ヘルマは生命樹、二匹の蛇、そして陽物をイコンとしてもっている(図・参照)わけですが、これら豊饒観念が一つに象徴化されものがカドウケウス=杖なのです。herma-pen.state

 アテネの春のさきぶれ祭り、すなわち予祝行事であるアンテステーリア祭は死と再生の農耕儀礼ですが、ここではカドウケゥスを携えたへルメスが冥界から境界を超えて再生する神として扱われることになります。【註1】 このように、死と再生というモチーフと、中心と周縁の境界を往き来するというモチーフは決して別のものではなく、そうした構造において棒という一つの形象が普遍的な意味づけを行なわれているということが漠然とでものみこめたのではないかと思います。

 このようなコンテキストにおいて、舞台・神話・民話というさまざまなレヴェルにおける棒の意味について、山口昌男氏は「道化の民俗学」のなかで議論していますので興味のある方は是非目を通しておいてください。

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 さて、エリアーデは「中心の象徴という宇宙論的観念が聖樹ひいては聖柱・聖棒の象徴的意義を構成する」と指摘しました。つまり聖なる空間の最も始原的観念は、天上・地上・地下の三界を交流する領域であり、そこは神の出現する場でもある。三界を結合し、神性を体現するものが聖樹であり、柱・棒であるといっています。

 柳田国男は「神樹篇」のなかで、伊勢神宮の心御柱(しんのみはしら)・諏訪の御柱(おんばしら)は聖別された空間を象徴し、他所の杖を突くことをはぼかって境の神に献じられる忌杖は、内なる聖域を外部と区別する印であるといっています。

 すなわち、神樹は天上から地上へ神の降りてくる通路であり、従って神の憑代でもあるわけです。折口信夫は「古代研究」のなかで神の憑代としての柱や棒が、山車の経棒・山鉾・幣束・旗竿など宗教行事の用具となったことを指摘しています。

 従って、柱もしくは棒は、本来神が他の世界からやってくる通路であり、それゆえ自分達の世界と他の世界との境界というイメージと強くむすぴつくのだということを了解できるのです。特にそれが棒もしくは杖として、人間の手によって操られる時、操る人も、それを見る人も、一種の催眠効果によって支配されることになり、日常の秩序立てられた平板な世界から境界を超えて一瞬解放されることにもなるのです。コンダクターの指揮棒、魔法使いの箒、山伏の錫杖、そしてイタコが口寄せする時にもちいるオシラサマ、学生運動家のゲバ棒、お巡りさんの警棒等が単なる機能論的な役割を超えた意味を持っていることはもう言うまでもないでしょう。

 白川静は「漢字の世界」で「尹」という字が手で棒を持つ形象であることを説明した後で、「尹は古くは神につかえるものの称であり、そのもつところのものは神杖、神の憑代とされるものであった。」とし、「神楽歌には採物として榊・弊・杖・篠・蔓・弓・剣などが歌われている」といって「この杖はいづこの杖ぞ天にますとよをかひめのみやの杖なり(本)」「あふ坂をけさ越えくればやま人のわれにくれたる山杖ぞこれ(未)」という歌を紹介しています。

 特にこの二番日の歌は、「あふ坂(境界)を越えて行ったら、やま(周縁=混沌)に住む人が私に授けてくれた山杖(神の憑代=天にますとよをかひめのみやの杖)がこれです。」という意味でしょうから、杖というものの始原的なかたちを示していて興味ぶかいと思います。【註2】

 すなわち、杖あるいは棒という形象は、境界を超えて村にもたらされる時、何等かの新しい力、あるいは憑依している神の力を象徴しており、あやつられる杖あるいは棒の催眠効果によつて魅了される村人達は、自分達の時空が新しい神の到来と共に再生更新したことを確信せざるを得ないのです。

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 さて、湯治というのは温泉場に逗留し、湯沐することによって体力の回復をはかることをいいますが、湯治が東北地方を中心とする農民の間に急激に流行し始めたのは、おそらく文化文政ごろであろうといわれています。

 田植の後や、刈入れ前、収穫後の一定期間鍋や釜、ふとんといった日常生活用品を一式もって温泉場へ出掛け、療治につとめるわけですが、夕方になると湯治客が集って酒盛が始まり、笛や大鼓のお囃子に、それぞれ自慢の茶番、神楽、大黒舞、飲めや唄えの大騒ぎが始まります。

 こうした「オルギー(乱痴気願ぎ)はつねに再生と豊饒の儀礼と密接に結びついて現存してきた」といわれていますが、この指摘をまつまでもなく、湯治自体が典型的な再生儀礼であることに皆さんもお気づきのことと思います。

 湯治は洗礼と同じ呪術宗教的意味、すなわち一度死んで、地母神(もしくは水神)の意志によって新しい能力を身につけ再生することを意味しています。この時、温泉は母なる大地の胎内であり、子宮であり、羊水に他ならないのです。湯治場におけるオルギー(乱痴気騒ぎ)も、エリアーデのいうように「原初的な、形態以前の、カオス的状態」へ立ち戻る試みであり「人はみずからを形なき、宇宙以前の存在に帰一することにより、回復し再生された自己、一言にしていえば”新しい人間”に帰る」ことを希求しているのです。

 こうして体力の回復だけではなく、大地の能力(多産・豊饒)を身につけ再生した新しい人間として村に還ってゆく時、湯治客はお宮笥としてこけしを買っていたのです。

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 湯治場が農民にとって、自分達の村とは識別される聖なる空間(非日常的な空間)であり、再生の行なわれる空間である以上、湯治場もしくはその近辺に住む「山の木地屋(こけしを作る人)」は、自分達の日常生活の外にいる、いわは周縁の人達でした。一方木地屋も、良材を求めて山から山へと渡る一所不住の生活をおくり、その職権を擁護するため、文徳天皇の第一皇子惟喬親王を業祖と仰ぎ、その由緒書と伐採、往来の自由を保証する御輪旨の類を抱いて、出自を誇示しておりましたから、漂泊者=木地屋と定住者=村人の間には、俗的生活においては越え難い境界のあったことがわかります。山の木地屋と里の村人との関係については、諸国に分布している「椀貸伝説」などが示唆的といえるでしよう。 村人にとって木地屋とは、魑魅魍魎の跋扈する闇の世界の住人で、恐るべき存在であるとともに、山の神との仲介者であり、神や仏をまつるための神器・雑器・仏器などをロクロで挽き出す、すなわち怖れと恵みの双方をもたらす両義的存在であったといってよいでしょう。

 混沌の世界に生きる木地屋が作り、湯治客が買い求めたこけしは、単なる木製の人形という以上に深い象徴的な意味があったことは想像に難くないと思います。

 農民が五穀豊饒の新しい能力を、湯治により再生し、自分の村に持ち帰るとき、その新しい能力の象徴として、あるいは豊饒をもたらす神の憑代として、このこけしを携えてもいたのでしょう。そしてそのこけしは、人形であると同時に杖あるいは棒として、持ち帰る人と待ち受ける村人の双方を一種の催眠効果によって心理的に支配していたのです。さらに恣意的な言い方を敢えてすれば、湯治から帰還する村人は、豊饒の新しい能力を持ち、その象敏としてのこけしを持つが故に、境界を超えてやってくる「訪問神」にほかならないのです。すなわち、湯治帰りの人と、冥界から境界を超えて再生するカドウケウス=杖を携えたヘルメスの位置とは極めて近いことに気が付くでしょう。

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 こけしは勿論、おもちゃですから、お宮笥として持ち帰られると子供の手へと渡り、ままごとの相手となったり、座布団にくるまれ女児におぶわれたり、子供の伴侶となるわけですが、こけしを子供があやつるということも決して無意味なことではないと思います。

先程紹介したほたき棒も子供が手に持ったものですし、小正月の行事には子供が主役となって活躍するものがいくらでもあります(例えば、柳田国男「小さき者の声」参照)。

つまり「子供の声や仕草は、常にいわゆる大人の身振り言語の中に組み込まれない部分を多く」示しているので、子供は「非日常的な(境界との)コミュニケーションの媒体として」使われることになるのです。こけしを手にする子供達は、境界を超えて神の仲介者となり、村中をとぴまわることによって、五穀豊饒の呪力を村の隅々にまでゆきわたらせていたといえるでしょう。元気溌剌とした生命力過剰な子供達が、彩り鮮やかなこけしを手にして駆けまわっているのを目にすれば、大人にとっては豊穣の能力が絶対的なかたちとして顕現したと確信せざるを得ないのです。【註3】

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 enakichi最後に一本のこけしを皆さんにお目にかけましょう。これは高橋胞吉という木地屋が、明治以降に仙台で作ったこけしです。湯治揚でなく都市でこけしが売られた数少い例の一つです。ところでこのこけしも一年中いつでも売られていたわけではなく、実は大崎八幡の参道で、しかも小正月の松焚き神事でにぎわう夜に、雪の上に荒延を敷いて、その上に並らべて売られたといわれています。

 胞吉がこけしを売った時代は、こけしが湯治場で創り始められてから大分時間を経た後ですが、買う側から見れば湯治場でも小正月の参道でもそれ程の違いはなかったのでしょう。小正月は旧正月の一五日、満月の夜であり、新しい年と古い年の本当の境い目として各種の農耕儀礼との密接な結びつきもあり、例の祝儀棒の活躍する時でもあったからです。古い一年が死に新しい一年として再生する晩に裸身の男達が駆けまわる大崎八幡の境内、その松焚神事に参詣した人達によって買われていったこうした小さなこけしも、来るべき一年の豊饒・多産の呪力を一身に担っていたに違いないのです。

 こうしたこけしの象徴作用を考える時、次にこけしの模様の二つの様式、すなわち花模様とロクロ模様のもつイコノロジカルな意味が興味の対象として浮び上ってくるのですがこの問題については別の機会に考えることにしましょう。

【註1】「日本でも道祖神は境界の石神であった。後に石地蔵に変化したものもあったが地蔵は必ず杖をもっている。」と戸井田道三は指摘している。

【註2】池田弥三郎は(本)は豊岡姫の宮の杖、(末)はそれとは違って山人のくれた杖というように口語訳しているが、ともに讃えられる採物という意味において等価物と考えてよい。豊岡姫は豊受姫を指すと言われているが、豊受姫は伊勢外宮に奉祀される五穀豊饒の保食神である。なお古代歌謡における山人の意味については、土橋寛の興味深い研究がある。

【註3】神話的世界における子供の役割を特に童児神として考察する場合、ケレーニィの著書が参考になる。

<参考文載>

・エリアーデ‥「大地・農耕・女社」未来社

・エリアーデ‥「永遠周帰の神話」未来社

・エリアーデ‥「イメージとシンボル」山口 昌男編「未開と文明」平凡社所収

・掘一郎ら監修‥「宗教学辞典」東大出版会

・久松保夫‥「はうこ考」『木の花』7〜8、こけしの会

・山口昌男‥「道化の民俗学」新潮社

・白川静‥「漢字の世界1」平凡社

・柳田国男‥「こども風土記」角川文庫等所収

・柳田国男・・「小さき者の声」角川文庫等所収

・折口信夫‥「古代研究」中央公論社所収

・戸井田道三‥「演技」紀伊国屋書店

・土橋寛‥「古代歌謡と儀礼の研究」岩波書店

・ケレーニィら‥「神話学入門」晶文社


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