こけしの語源


はじめに
こけしは、ある特定の地方、すなわち蔵王東麓遠刈田周辺で、特に作り付けの小寸物の木人形に用いられた呼び名である。右の写真は旧橘コレクションの遠刈田小寸であって、これらを「コケシ」あるいは「コゲス」と呼んでいたのである。今日こけしと呼ばれている木人形の呼び名は各地方ごとにさまざまであり、その一般的総称というものは無かった。
「こけし」をこの木人形全般の代表名と決めたのは、それ程古いことではなく、不統一な呼称は紛らわしいので昭和十四年八月鳴子で開かれた全国こけし大会で「こけし」を代表名として選んだだけのことである。
各地方の呼称名
各地方ではそれぞれ多様な呼び名を用いていたが、鹿間時夫氏はそれを大きく四つの方言区に分類して整理した。
なお、この四つ以外に「にんぎょう」という一般的な呼名は各地で使われていた。

一. でこ方言区

きでこ      福島・飯坂
おでこさま    会津地方
でころこ     原の町
でく        小野川

二. ぼこ(ホーコ)方言区

きおぼこ、おぼこ、にんぎょ   刈田郡
きぼこ、きんぼこ、きぼっこ   仙台市
んぼっこ               山形市
こげほこ               雄勝郡
ながおぼこ             温湯

三. こけし方言区

こげす        遠刈田
こげすんぼこ   仙台市
こけし、こげす   鳴子
こけしぼんぼ    湯沢
こけしぼぼ、こけしほほこ   小安

四. きなきな方言区

きなきなおばこ     盛岡
きなきなずんぞこ    一ノ関
くなくなこげす      胆沢郡
きなきな坊       上閉伊郡
 
このように各方言を並べてみると、「でこ方言区」は福島県を中心にかなり孤立しているのに対し、「ぼこ方言区」はかなり広く分布し、「こけし方言区」と「きなきな方言区」は、その「ぼこ方言区」の部分に存在することがわかる。しかも「ぼこ方言区」のなかでは、おのおのが複合して使われる場合がある。たとえば、こけし-ほほこ、きなきな-おばこ、くなくな-こげす等である。
上図の方言区地図を凝視すると、「でこ方言区」は独立性が高いことがわかり、「ぼこ方言区」では「ぼこ」が古く、後に「ぼこ」の作り付け小寸物を特に「こけし」と呼んで区別した地方がある。一方、オシャブリの「きなきな」は人形化して「ぼこ」あるいは「こけし」と複合化した。・・・といった方言周圏論を踏まえた解釈も可能になる。

各呼称名の語源

「でこ」は木偶(でく)が語源であろう。この「もくぐう」を何故「でく」と呼ぶかということについては、折口信夫は人形を手に持って舞わせる手傀儡(てくぐつ)がつまって「でく」になったとしている。木偶は宛字で、「てくぐつ」には木という意味は無く、もとは「手で舞わせる人形」、したがって「きでこ」は「木で作った手で舞わせる人形」ということであろう。

「ぼこ」については二説がある。日本の古い「ひとがた」人形の「ほうこ(這子)」から来たと言う説。もう一つは童女のことを「おぼこ」という、木で作った童女だから「きおぼこ」だという説である。
ただ、こけしの「ぼこ」の元になったのはむしろ仙台張子の「おほこ」であろう。この「おほこ」の語源が「這子」か「おぼこ」かという議論は別にある。仙台張子は松川達磨の張子の技術を受け継いで、仙台藩士が二百年ほど前から作り始めたものらしい。
高橋五郎氏は遠刈田新地の中寸以上のこけしの祖型はこの張子の「おほこ」ではないかとしているが、説得力のある意見である(佐藤治平と新地の木地屋たち)。こけしが盛んになるに期を同じくして、仙台張子の「おほこ」は消えていくが、こけしがおほこの代わりとして、より壊れにくい人形として受け入れられたためであろう。「きおぼこ」という名称自体も、「おほこ」からの継承だと考えられる。木で作ったおほこ人形というのが「きおぼこ」のもとの意味であろう。
もともと東北地方には「おほこ」を人形の意味で受け入れる素地がかなり広範にあって、仙台張子の「おほこ」を祖系として「きおほこ」がその呼称とともに成立したとき、その名称は自然な形で広く伝播し、大きな方言区となったようである。その意味では、昭和十四年の全国こけし大会では、「こけし」よりは「きおほこ」から来る「きぼこ」の方を代表名として選ぶべきであったかもしれない。


「こけし」について、諸説いろいろある。「こ=木、け=削、し=子、木を削って作った子供の人形」、「御芥子、芥子坊主の意。芥子坊主は頭頂をそり、中央に毛を残す小児習俗。」、「けしは芥子粒で小さいという意、こも小さいで、小さいを重ねた言葉」等等。このように諸説定まらなかったことから戦後60年代に突如「子消し=間引きの供養」説まで現れる(「子消し」説の分析については「こけしQ&A」で議論した)。
語源として、今日もっとも受け入れられているのは「木で作った赤けし人形」を原義とする解釈である。
「赤けし」は堤土人形、堤の「けし人形」は男女一対の坐像で、男を「つんぬき」。女を「赤けし」と言った。
堤人形は十七世紀はじめ頃より、足軽の内職として始まったが、元禄の頃から浅草今戸の技術が伝わり発展、文化文政の頃に最盛期を迎えたという。堤人形は仙台から作並街道を経て、山形、上ノ山、寒河江などにまで売られていたらしい。高橋五郎氏は前掲書のなかで、この「赤けし」こそ遠刈田小寸作り付けの祖型であるとしている。たしかに五郎氏蔵の古い「赤けし」二寸二分をみると、肩の下がった型は遠刈田の作りつけと共通するものがあり、面描や頭頂の水引などにもその影響が歴然としている。名称においても「木で作ったけし人形」というのが原義であろう。また、「ぼこ方言区」のなかで小寸作り付けを大寸物と区別して作った産地に「こけし方言区」は限られるのというのも、この考えを支持している。
かつて「こ」を木と見るのは難しい、用材として使う場合は「き」、生きている植物あるいは未加工の場合は「こ」を使うという意見も有った。
「このは」「このめ」「こぐち」、「きづち」「きぐつ」等。そこで「こ」は木ではなく小さいの意とする意見もあった。ただし、下田正建氏は木割り台を「こぎぼ」、削り木を「こばぎ」でこの場合の「こ」は木であり、「木で作った」の意にも「こ」は使われるとした(こけし手帖・30)。
たしかに元の赤けしが二寸二分であれば、それに小さいの接頭語をつける必要は無い。したがって、「木で作ったけし人形」が、現在はもっとも有力である。

私も「木で作ったけし人形」説を支持するが、それは「きでこ」、「きぼこ」、「こけし」の成り立ち、構造の共通性からである。
これらは全て前駆的な人形を持っていて、これに「木で作った」という接頭語をつけている。
従来、「こけし」というこの木人形のごく一部分を対象にした語源議論ばかりやっていて、この木人形の呼称の共通の構造という視点があまり無かったように思う。上記のように整理してみると、物の命名の基本構造はかなり明確なよう見える。

このように考えれば、こけしの前駆となった人形のイメージがこけしを求めた人々の中にははっきりあって、その役割や期待していたものがこけしへ継承されたと考えるべきである。その意味からも、久松保夫さんが「木の花」三十六冊を通して追求した「ほうこ考」などはもう一度精査し、体系化すべき題材であろう。

「きなきな」はおしゃぶりの口に含む部分がクラクラうごく様子の擬態語から生まれて、それが人形化すると同時に「ぼこ」や「こけし」と複合したものである。(柳田國男のキナキナ論考参照)

質問があれば fwih4396@mb.infoweb.ne.jp あるいは mhashi@nifty.com までお寄せ下さい。

印
ホームページへ