斎藤昌三と性神研究


変態崇拝史

斎藤昌三は、古書学、発禁本、蒐集家などの研究者。性風俗や民俗学的な性神の研究でも知られる。明治二十年神奈川県座間町の商家に生まれた。本名は「政三」、関東大震災後「昌三」と改名した。中学中退後、横浜の生糸商原合名会社に勤務したが、文学を志し、小島烏水、礒萍水・山崎紫紅らと交わった。大正四年同人誌『樹海』を創刊、以後多くの雑誌を出版に関わる。
古書研究にも熱心で、加山道之助と大正九年趣味誌『おいら』を創刊、三田平凡寺らの趣味人との交友も始まった。平凡寺の「我楽多宗」は会員それぞれ山号寺名を付けて呼びあったが、斎藤昌三は「第五番由来山相対寺」であった。関東大震災後雑誌『いもづる』を刊行。梅原北明の企画になる「変態十二史」のうち二冊を執筆。その後、『愛書趣味』を創刊したり、『日本文学大年表』を刊行を行った。
晩年は茅ヶ崎に住んで、内田魯庵『紙魚繁盛記』、淡島寒月『梵雲庵雑話』などを編纂刊行した。
斎藤昌三には性神研究に関連して、こけしに触れた本が二冊ある。一つは「性的神の三千年」(大正十年)であり、もう一つは「変態崇拝史」(大正十六年)である。
私は「性的神の三千年」をまだ見た事がない。ただし、「こけし手帖・十八号」の稲垣武雄「こけしの文献」によれば、この本の「玩具に残る性的表徴」の文中にいささかこけしに言及した箇所があると述べ、さらに「こけしをその形態から、性的神に関するような説を発表した最初の文献であり、これがこけしの誤った見方をするものの指針となったのである。」としている。
もう一つの「変態崇拝史」は「変態十二史」の第九巻として文芸資料研究会から出版されたもの。大正十五年は大正天皇の崩御により十二月二十五日で終わるが、印刷等が進んでいたためか大正十六年一月十五日発行の奥付きのままで刊行されている。
その序文には「本書は変態崇拝史と題したるが実際は自然崇拝の根元である性器崇拝の概要で、謂はば性器崇拝の事実上の報告と変遷史である。」と書かれている。
この本の中で、こけしが登場するのは「第六章 性崇拝および信仰を離れた遺風」である。「日本の古来の玩具は、外国の多くが児童の保育用に創案されているのに比し、日本のは全く信仰上から来て、神社仏閣から授与したのが大部分で、随ってその起源に就ては性の崇拝または表徴から来たかと思われるものが少なくない。」とした上で「畏友本山桂川君の説を借用しておく。」と書かれ、その本山桂川からの長い引用の中に「芥子這子」が出て来る。
本山桂川が取り上げている玩具と称するものは次の七つである
  1. 蘇民将来
  2. 卯杖及卯槌
  3. 亀作馬
  4. 大隅鯛車
  5. 木ノ葉猿
  6. 熊本の女達磨
  7. 芥子這子
芥子這子の部分には次のように書かれてある。
「図五は岩代信夫郡飯坂地方にある小芥子這子である。これと同種のものは陸中西磐井郡一ノ関地方にも存在するが、何れも挽物細工の円い棒に児女の首を填め込んだ形になって居る。之れ又例によって例の通りである。(中略)熊本県日奈久にあるおきん女と称する木製の人形も亦同系に属せしむべきものであろう。」
掲載されている図版を右に示す。飯坂のこけしとあるのは明らかに誤りであり、山形の小林一家のものである。写真不鮮明で作者の確定はできないが小林倉吉、あるいはその息子清蔵のものであろう。大正期の作である。
したがってこの本も、天江富弥の「こけし這子の話」に先立って、こけしの写真を掲載した出版物の一つである。
斎藤昌三が引用した本山桂川は本名豊治、長崎の出身である。早稲田大学卒業後郷里で雑誌「土の鈴」を発行、やがて一家で東京に出てから、柳田国男、南方熊楠など民俗学者と交流、大正十五年からは閑話叢書の編集に携わり、その第一号は熊楠の「南方閑話」であった。昭和三年からはガリ版刷りの「民俗研究」を刊行、これは五十輯まで続いた。
この他に、雑誌としては趣味之土俗叢書・人文・信仰民俗誌・海島民俗誌・談叢・史譚と民俗など、単行本では、日本民俗叢書・人物評伝全集などの編集に関わっている。
この斎藤昌三の「変態崇拝史」を見ると、彼の問題意識はかなり明確である。明治期まで日本のいたるところに性神信仰に関わる祠や社、また信仰対象となった形象が残っていた。ところが明治五年の太政官布告以降その取締が厳しく行われるようになり、この本の出版時期には内務省が、政府予算八千円をもって淫祠・淫神の調査を開始、特に全国二千五百余の淫祠に対してはそれを撲滅するといった記事が「東京日日新聞」に載るような状況であったらしい。
彼の意図は、こうした風潮のなかで、出来るだけ調査を行い、記録を残しておこうというものだった。

こけしと性神信仰

それではこけしと性神信仰とは本当に関係があるのか、あるいはまったく無縁なのかという議論は、興味深いが簡単にかたずけられる問題ではない。
土湯の斎藤太治郎が書いたこけしの栞には、「御子様方ノ御好運ト御健勝ヲ祝シタ真ニ御目出度イ玩具デアルト昔カラ言ヒ伝ヘテ居ルノデアリマス。此ノ玩具ヲ与ヘテ喜ブ笑顔ヲ楽シミトスル御子様ノ無キ方ハ当温泉ニ御入浴ヲナシ御太子様ト御湯神様ヲ一心ニ信仰ノ上右ノ木人形ヲ御祭リシテ朝夕御信仰ナサレバ玉ノ様ナ可愛イ御子様ヲ御設ケニナリマス」と書いてあった。昔は土湯の浴槽に無彩のこけしが多く奉納してあったという話もある。
これは男根を並べたり浴槽に浮かべていた八幡平の蒸ノ湯の状況に極めて近い。蒸ノ湯でも生産・多産・豊饒を祈願するシンボルとして浴槽に浮かべていた。
この土湯の浴槽におけるこけしの扱われ方はかなり性神に近づいているように見える。おそらくこけしが性神と関連付けられていた部分もあるであろう。それでは、こけしが性神を起源として発生したのかと言えば、それ正しいとは言えない。この土湯のような例が他の産地においても一般的であったという事実はない。むしろ形代や雛や地蔵やお守りなど多様なものと関連付けられている。
こけしは場所によってさまざまな縁起習俗と結びついていた。土湯の例もその一つにすぎない。各地の縁起習俗をその発生と結びつけて一つ一つ取り上げていったら無数の起源説が生まれてしまう。起源ではなく、縁起習俗に付会されたものの一例と言うべきであろう。こけしというシンプルで始原的な形象は、多くの縁起習俗とフレキシブルに付会し得たのである。

類推的思考の世界

ここで、私の関心を引くのは、斎藤昌三の本に触れて、こけしという形象のイメージの豊かさを改めて考える必要があるということだ。
言い方を変えれば、こけしも含めて形象のイメージを駆使して連想・類推の世界を広げ、コミュニケーションを図り、共同体共通の安定した宇宙観を抱いていた時代があったということを再認識したいということでもある。
個人的な背景を言うなら、グローバル企業に身を置いてアメリカ、ヨーロッパ、アジアの人たちと共通の課題を日々議論する環境にいると、次第に奇妙な感覚に陥ってくることがある。いうなれば実体の本質が欠落したゲームのような感覚だ。
共通の文化的な基盤がない者同士の世界だから、議論やコミュニケーションは往々にしてロジックのみに基づくようになる。公用語は英語であるが、非英語圏の人たちが過半数の場合が多いから、使う単語は限られた数になる。それがいわばビジネスの公用英単語である。その企業あるいはグループで独特の公用英単語が使われ始めることもある。MBAを与えるビジネススクールなどが新たな公用英単語を創出する場合もある。また論理の構造も、どこの国の人でも受け入れられる明快かつ単純なものに徐々にパターン化され集約されてくる。そうした限られた環境でその公用英単語とロジックを駆使して議論に入り、自分の主張を通すことが出来るかどうかがビジネスの能力の重要な要素になる。これは英語に堪能かどうかとは全く別の要素である。
一企業内だけではなく国家間や企業間においても、今の国際的な場での議論や交渉は多かれ少なかれ似たような状況で行われ、物事が決まっていく。国際間で、あるいはグローバル市場で起こる不都合な問題の多くは、それがこうした公認されかつ凡例化した限定的ロジックに基づいて結論が出され、それによって動いていることにも起因するのだろう。論理的に解決合意に至っても、限定的ロジックで説明しえない部分はそのまま残され、お互いに納得できない不安定な部分をいつまでも抱え続けるからである。
本来、論理やロジックは物事を了解する手段の極く極く一部でしかない。昔、仏典か何かで読んだが、「論理で説明できるのは、海というものの表面のさざ波程度のもので、その下に広がる膨大な水をたたえた海の本性は全く説明できない。」ということだ。
論理による合理性が世の中を席巻する近代以前、また限定された論理パターンが支配的になるグローバル化以前には、論理に基づくコミュニケーションはほとんど人間生活の表舞台には表れていなかった。むしろ論理的に話しをすると「あの人の話は理屈ばかり勝っていやだ」と嫌われたものだ。「海」全体を一瞬のうちに了解しあうコミュニケーションに比べて、「さざ波」に拘泥する論理のコミュニケーションを嫌ったからであろう。
「海」全体を一瞬のうちに了解しあうためには、類推的な思考によるコミュニケーションも必要であろう。類推的思考のコミュニケーションを成り立たせるためには、互いが共通の宇宙観を持っており、それを維持できる仕組みが存在しなければならない。それは一種の共有する連想構造であって、日常のあいさつや身振り、食べ物、生活様式、価値観、仕来り、習慣、信心、祭礼、行事などによって支えられていたであろう。
かつては論理的思考(ロジカルシンキング)よりは、むしろ類推的思考(アナロジカルシンキング)が支配的であったかも知れない。論理的思考が類推的思考より優位にあるというのは近代の錯覚の一つである。類推的思考は決して未開人の思考ではない。「さざ波」だけでなく「海」全体を了解するには、類推的思考の方が了解するためのヒントを多く提供できるからである。それゆえ世界の多くの宗教経典では、隠喩、比喩、暗喩が多用され、譬え話の集積で構成されるものまである。ロジックで真理を伝えるのは至難だからである。
さて話をこけしに戻そう。こけしという「一つの棒に丸い頭部がつけられた」シンプルで始原的な形象は実に多くの他の形象と、アナロジーによってリンクを張ることが出来る。それは同時に、リンクを張られた他の形象が持っている概念やイメージともリンクを張ったことになる。
こけしにリンクを張られた形象として主なものは、おしゃぶり、べろべろのかぎっこ、這子、形代、雛人形、張子の芥子人形、土人形、ハレの衣裳、子育地蔵、卯杖、ほたき棒、オシラ様、そして極端に広がれば地母神、道祖神や性神に至る。久松保夫さんは「木の花」連載の「はうこ考」でこうしたリンク先の形象を、性的なものまで含めて丹念に掘り起こす作業を亡くなるまで続けていた。
こうした無数のリンクを張られた総体のこけしとして、厄除け、疱瘡除け、子育て、子授け、安産、多産、豊穣、繁栄、母性という概念やイメージが曼荼羅のように構成されていた。「さざ波」の部分だけではなく、深海に至る厚い水の層すべてを包括して「海」としての「こけし」があったのである。湯治に行った人たちはその全体を一瞬にして了解することが出来、それを喜んで買い求めていたのであろう。彼らは安定的な共通の宇宙観を持ち、安心感に満ちた世界の中でこうしたこけし全体を受容していたのである。
こけしの形象のように、類推的思考の基本タームとなるようなものがかつては沢山あって、それの組み合わせや、修飾によってかなりの思考やコミュニケーションが出来ていたのではないかと思う。厄除子如来の崖上にあったような洞穴、巨岩、巨木、ある種の果実、水産物、白鳥、烏など鳥類といった自然物や、シンボリックな人工物、例えば採り物、刀、鉾、鈴、鏡、櫛、杖、傘、鉢巻きなど、あるいは赤、黒、白といった色など、それぞれが基本タームの一つ一つであろう。これらはそのもの自体以上の意味を持っていて、場合によっては聖なるものとして信仰と結びつくこともあったのである。
最近再び若い人たちの間でこけしの人気が高まっているという話を聞くが、それも類推的思考の基本タームの一つとして、こけしが個人個人の何か大切なものと容易にリンクを張れるというところによるのではないかという気がする。


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