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津軽風影


温湯

昭和四十三年温湯温泉。

温湯の開湯はふるく、天文年中の「津軽郡中名字」には『熱後湯』とも記載がある。藩政時代には宗藩の弘前藩主たちもたびたび入浴に訪れたらしい。
幕藩中期以降に書かれた「鶴泉記」によると、傷ついた鶴が芦原に降りやがて快癒して飛び去ったのを里人が見て温泉を発見、「鶴羽立」と名づけたとされている。また、「鶴泉」とも称したと伝えられている。天正十九年(1591)に北畠氏旧臣の工藤次郎左衛門が湯宿を設けてから湯治客で繁盛し、寛永年中(1624〜40)に黒石に配流中の公家、花山院忠長が遊んで『温湯』と命名したといわれている。

温湯の木地師たちは古く山形から移ってきたと言われているが、その詳しい歴史はわからない。昭和に入るまで強いギルド組織を保ち、排他的な組織を残していたと言われる。盛、山谷、斎藤、佐藤、島津、佐々木など皆古くからの温湯の木地師だが、島津、佐々木などは大鰐に移って木地業を続けた。


津軽系のこけし
左より、三上文蔵名義、佐々木金次郎名義、島津彦三郎名義、佐藤伊太郎名義、盛秀太郎
ここで名義としたのは描彩者が別人の可能性があるからである。
蒐集家の手に渡ったときにはこの名義であった。



盛 秀太郎 村井福太郎

産地風影

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