遠刈田の工人(2)
昭和四十年三月、描彩をする佐藤文助。
文助は職人気質の気難しい工人と言われていた。
蒐集家が訪ねて行っても、お世辞や挨拶をするわけでもなく、笑顔を見せるわけでもなく、取り付くシマもないという風だった。写真を写されるのも嫌った。神経質で人の前では決して描彩はしないと言われていた。
しかし私が訪ねたとき、私がまだ高校生だったためだろうか、作業場に招じ入れて、目の前で描彩してくれた。
文助は明治三十四年、佐藤文平の次男として遠刈田に生まれ、父の文平に付いて木地を学んだ。丑蔵とは従兄弟にあたる。木地の腕は大変優れていて、玩具はもちろん盆や茶櫃のような横木の難物まで自由に挽きこなした。丑蔵が肘折、岩手などを渡り歩いていたため、丑蔵の長男文男は文助に木地を習った。
戦前は昭和十二年以降のこけしが知られている。蒐集家の依頼で本格的に作ったのは昭和十四年からであり、掲載の小山蔵品や深沢コレクションはもっとも古い時期のもの。