遠刈田の工人(1)
昭和四十年三月、足踏み轆轤でこけしの胴を仕上げる佐藤丑蔵、このとき七十六歳だった。訪問してからこけしの製作を依頼したが、寸法も言わないうちに、気軽に製作を始めて、あっという間に大寸物を作ってくれた。
丑蔵は明治二十二年、佐藤文治の長男として遠刈田に生まれ、叔父の文平に付いて木地を学んだ。十八歳のときに叔父佐藤文六を頼って肘折に行き、二十一歳まで働いた。こけしの作風には文六の影響が強い。
肘折、及位で働いた後、岩手県湯田の木地講習会講師となり、小林辻右衛門が木工場を設立したのを機に工芸指導員としてこの地に留まった。
戦後、遠刈田に戻ってこけしの製作を行なったが、職人らしい気質を残す工人として人気が高かった。
掲載らっここれくしょんの四本はいづれも湯田時代のもの、作品は湯田時代のものが優れている。