鳴子の工人(3)
大沼新兵衛は明治十九年十月十四日生まれ。十三歳から父平三郎について木地を修業、十八歳から三年間肘折の尾形木工場で佐藤文六の下で働いた。
こけしは鳴子の一筆目のものを作るが、肘折で働いたため肘折型も作った。明治四十三年秋に鹿ノ原で作ったものが残っているが、純然たる肘折の作風だった。
この鹿ノ原時代の一尺一寸、明治四十三年秋に作られ、鹿ノ原の子供の伴侶として長い時間を過ごしたが、後年新兵衛自身が鹿ノ原を訪ねた際に、見つけ出して懐かしがって持ち帰ったもの。
新兵衛亡き後、新兵衛長女大沼君子さんが大切にしていた。
鳴子を訪ねるたびに、このこけしを見るのが楽しみだった。
戦後、肘折型として新兵衛が作ったものは、鳴子風の形に目のみ二重、鼻は撥状、胴に重ね菊を書いたものであったが、この鹿ノ原のものとは全く趣の違うものだった。この鹿ノ原を手許に置いてなお作っていた肘折型であるから、それはそれなりにこだわりのある型だったのであろう。
この鹿ノ原は角ばった頭部に文六風の面描、堂々としたボリューム感あふれるこけしで、魅力あふれる逸品である。
ホームページへ