鳴子の工人(1)
昭和四十年三月、木取りをする高橋武蔵。
高亀の作業場
高橋武蔵は、明治二十一年十一月二十九日鳴子高亀・高橋亀三郎の長男として生まれる。
父亀三郎より木地技術を伝承、明治三十五年頃より、こけしを作り続けた。
昭和四十四年八月三十日に没した。
こけし蒐集家が活動を始める大正期から、亡くなるまで一貫してこけしを作り続けたので、鳴子こけしの代表工人として知られた。戦争中には、疎開してきた児童にこけしを作って与え続けたというエピソードもある。戦後は、高橋盛の高勘と人気を二分し、高亀高勘時代と呼ばれた。
作風は大きく変わらなかったが、昭和初期(初年頃から九年頃まで)の一時期には目の位置が頭の中央より下にさがり、童女風の独特の表情を描いた。
左は昭和三十九年十二月、作業場の前に立つ武蔵。もともと端正で、身だしなみにも気を配る武蔵、この時は「髭も剃ってないから・・」と恥ずかしそうにしながらカメラの前に立ってくれた。
深沢コレクションの武蔵四本、昭和十年前後の作。