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土湯・飯坂風影


土湯温泉

岳温泉

土湯の工人達

鯖湖


鯖湖・透達の両湯

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昭和五十二年頃の鯖湖湯

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 飯坂鯖湖湯の向かいにある白壁の旅館中村屋はもともと土湯にあり、明治二十二年の水害にあってこの地に移った。
土湯の渡辺作蔵の二男角治は、この中村屋主人阿部与右衛門の口利きで、飯坂に移り、キンと結婚して木地業山根屋を開業した。
角治が木地を挽き、キンが描彩して、艶と張りのある情味深いこけしを作ったが、これが「鯖湖こけし」として珍重される。
角治は謹厳実直だった作蔵の血を引いたためか、仕事の鬼と呼ばれる程よく働いた。仕事をし続けて、たまった木地の重みで二階の床が下がったとまで言われる。晩年はカリエスに苦しんだが、挽いてあった木地にキンは描彩を続けて、角治の死後も鯖湖こけしは絶えなかった。
キンは極度の近眼のため、こけしに顔を擦り付けるようにして描彩したといわれるが、そのこけしの波打つように揺れる鯨目の流れは、限りない余韻を残して見るものを魅了する。


鯖湖湯は木造の古い造り、なかの脱衣場には鯖湖湯鉱泉試験成績の木の額が掲げられていた。



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飯坂の村社八幡神社は、子供たちにとって絶好の遊び場である。小さな自転車があたりかまわず駆け回り、社の壇上の石畳では腕白たちがめんこ遊びに興じている。境内には山の神や勢至塔、道祖神の石柱が立つ。杉の神木には足王様の大草鞋まで掲げられている。
この八幡神社門前出身の佐藤応助三女クラに明治二十三年婿養子に入ったのが、弥治郎出身の毛利栄治、木地屋八幡屋を開業した。
佐藤応助は芸事に目がなく、義太夫に長じ、踊りの師匠までやった人。その影響か佐藤栄治は山村弥治郎出身にしては、垢抜けて、渋く、歌舞音曲の煮凝りのような、情感溢れるこけしを作った。


佐藤栄治鑑賞




産地風影

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